ようちえんのなかをかぜがとおりすぎる。 あつい、あついなつのかぜだ。 そのかぜが、おひるねのじかんのさいちゅうだった、ぼくをおこす。 ぼくを、おこす… 「遥か続く鳥の詩」 ぼくは、やなぎはら くうや 6さい。 よこでねてるのは、すずか。 ぼくの「おさななじみ」で、ぼくのいちばんのたからものだ。 すずかは、かわいい。 ぼくはすずかをみてるだけで、ふわふわしたきもちになってくる。 せんせいは、このきもちは「すき」っていう、とてもたいせつなことだっていう。 「先生もな、凄く好きな人がおってん…もう、居なくなってしもたけどな…その人が、教 えてくれたんや。人を好きになって、そしてその想いに正直になるって事は、とても大 切な事なんや…」 せんせいのおはなしはよくわかんないけど、そのことをはなすせんせいは、とてもさび しそうで…でも、すこしだけうれしそうだった。 「…なにがなんやらよう分からんまま、あの子は逝ってしもたけど…あの子を好きになっ た事は、絶対間違いやあれへん。それはうちが掴んだ、大切な事や…せやからな、うち はその気持ちを皆に伝えるんや。あの子の命は尽きてしもたけど、想いだけは終わらん …ずっと、な…」 せんせいはそうつぶやいて、ぼくをだきしめた。 なんだかちょっとかなしくて、 なんだかすごくあたたかかった。 だから、ぼくは… きゅっ 「…? なんや空也、手ぇ、握っててくれるんかいな」 「………くやしかったんだ…」 「?」 晴子は、俺の顔を覗きこんで首をかしげた。 「…あんた…」 晴子の目が、俺の瞳を覗き込む。 「目つきむっちゃ悪いなぁ…」 「………」 ほっとけ。 「でも、うち好きやで…この目」 晴子が俺の瞳を覗き込んだまま、自身の瞳を潤ませ始める。 「この目は、ええ度胸をしとる証拠や。物怖じせぇへん、真っ直ぐないい目や…」 ぽろぽろぽろ 涙が潤んだ瞳から零れる。 透明な、純粋な思いを秘めた目。そこから零れた涙もまた純粋で、悲しみを含んだまま 床に落ちて散るまで輝き続けた。 「強い子やなぁ、空也は…生まれた時から、ずっと鈴香を守って来ただけあるわ…」 「………」 そう、俺達は捨て子だった。 山の上の神社に鈴香と一緒に捨てられていた俺は、施設に入れられて一緒に育ってきた。 そしておととし、この幼稚園に預けられた。 その頃から俺は、時々見る夢と共に記憶を取り戻してきたんだ。 「ははは…なんや、空也達見とると、うちごっつう涙もろくなってまうわ…悪い子達やな ぁ…って、別にあんたらが悪い訳やないんやけどな…」 「…違う…」 「?」 「………」 きゅっ そのまま俺は何も言わずに、晴子の手を握っていた。 「………」 ぎゅっ 晴子は、そんな俺を優しく抱きしめてくれていた。 「ん…」 「………」 まだ、俺の隣で鈴香は眠っていた。 その寝顔を見つめながら、俺は記憶の糸を手繰る。 観鈴を苛むものの正体に気付いたあの時、俺は、逃げた。 空に描かれた、科せられた過去からの想いから…そして、空を望む観鈴から向けられた 想いから、逃げていた。 俺は、弱かった。 せめて…旅を始めた時の気持ち、あの少女を探す意志に満ちていたままで居られなかっ た自分が悔しかった。 その悔しさと共に、俺は、俺を求める観鈴の手を離して逃げてしまった…それは一時だ ったかも知れないが、不安に怯える観鈴にとっては永い永い時間だっただろう。 その全てをやり直すために「そら」になったのに、それでも観鈴を繋ぎとめる事は出来 なかった…俺は、そう思った。 でも、違ったんだ。 俺が「そら」になった理由は、過去からの想いをかなえるためだったんだ。 観鈴と同じように、その器には大き過ぎる魂を抱えた「そら」としての俺。最初は上手 く飛べなかったけど、観鈴のおかげで俺は風を斬り、空を越えた。 俺が望んでやまなかった、空。 観鈴が囚われ、受け入れた空。 ずっと届かなかった空を、俺は全ての願いを秘めて飛んだ。鳥になって、届かなかった 場所に…「神奈」に幸せな想いを届けた…その時、全ての「過去」は終わった。 「むに…」 「………鈴香………」 あどけない寝顔は、あの時と全然変わらない。 この寝顔を見つめる、俺の気持ちも。 遥か昔から続く夏の風。 その中で、俺と鈴香は生きていくのだろう… 「なに不景気な面してんだ」 「?」 振り返ると、ぼろぼろの着物をまとったサムライ風の男が立っていた。 「お前に伝えた、俺達の想い…それをお前は成就させたんだ、それは凄いことなんだぞ? わかってるのか?」 「柳也さまの言う通りですわ、もっと自信をおもちになって下さいませ」 柳也と呼ばれた男の隣に立つ、平安調の服を着た女が語る。 「俺達が成し得なかった想いは、裏葉と俺の子孫…つまり、お前に受け継がれた。」 「そして、成し遂げられましたわ」 「神奈は解き放たれ、眠りにつく」 「私達と同じ場所で、眠りにつく」 …ふわり 何かが、降って来た。 「それは、あいつが望んだ夢」 「私達が望んだ夢」 ふわり、ふわり… 羽。 白い羽が幾つも舞い降りて来る。 その羽の一つが、俺の隣で眠る鈴香に舞い降りる。 「今、それが現実になる。」 「もうすぐ…」 俺が羽の降る先を見上げた、その時… ぱあぁっ 空が白い光に満たされた。 「………」 見上げた空は、白く輝いていた。 ばさっ… その光の中から翼音を響かせ降りて来る、背中の羽だけを身につけた少女。それは、幸 せな想いを抱き、ようやく眠りにつくことの出来る少女だった。 「…柳也どの! 裏葉!」 少女は涙の輝きを引きながら舞い降りて、男と女にひしと抱きついた。 それは、夢。 それは、願い。 その全てが成就した瞬間。 「神奈…神奈! 神奈!」 「…おかえりなさいませ…神奈…さま…!」 翼持つ者の思いを受け、幸せな思いを紡げずに死んでいった者たちと、翼持つ者を救う 使命を果たせず、空を見上げながら消えて行った者たち。 その全ての思いに報うために。 その全ての時間を優しさで埋め尽くすために。 光の中、柳也と裏葉と神奈は抱き合った。互いを離す事の無いように、しっかりと。 「ずっと、一緒じゃ…ずっと、ずっと…」 抱き合う3人の姿が、神奈の発する光に包まれる。 どんどん光は強くなり、意識が全て光に満たされて行く。そのただ中で目を開けた鈴香 は、俺を見て呟いた。 「往人…さん…」 次の瞬間、全ては光に包まれた。 # # # なんだか、せかいがぐらぐらゆれてる。 「…きて、ねぇおきて、くうや」 「ん………」 すずかにからだをゆすられて、ぼくはおきた。 「…おひるね、おわり?」 「ううん、まだ。」 「じゃあ、なんでおこすの?」 「わたしが、おきちゃったから。ひとりじゃさびしいもん」 ぽかっ 「が、がお…」 「すずかは、いっつもそうなんだもんなー」 ぼくは、ゆめをみていたらしい。 らしいっていうのは、おきたときは、みたゆめをぜんぜんおぼえていないからだ。 ずっとまえ、「うみにいきたい」っていったすずかを、うみにつれていったときもそう だ。 ていぼうのうえですわっている、ねてるみたいにしてたおにいさんと、てをふってくれ たおねえさんにあったときも、ぼくはぼーっとしてて、すずかとなにをおしゃべりした か、よくおぼえていない。 でも、だいじなことをぼくはおぼえてる。 ぼくは、むかしすずかのてをはなしてしまった。 それは、とてもとてもくやしくて、かなしかった。 だからぼくは、ぜったいにすずかのてをはなさない。 いろんなひとがくれた、きぼう。 とどかないおもいをこめた、かなしいきぼう。 きせつがうつりかわっても、のこりつづけるやさしいきぼう。 それをこめて、ぼくはすずかのてをにぎる。 そらをおいかけて。 かこではなく、むげんのみらいがひろがるそらをおいかけて。 ぼくとすずかは、はしる。 まえに、 まえに。 だから…あのときおれたちは、いったんだ。 俺達の、哀しい運命に。 そして、 もう戻らない日々に… 「さようなら」 …って… # # # …暑い。 「何へばってんのや、空也。置いてくでーっ!」 遠くで晴子先生が叫ぶ。 俺がへばっている理由。それは腹が猛烈に減っているのと、この身につけた高校の黒い 学生服が容赦なく夏の暑さを吸い取っているからだ。 「…暑い…」 「空也がそんな服着てるからだよ」 一緒に居る鈴香は、一風変わったセーラー服に身を包んでいる。 「お前と先生が『にあうにあう』ってしつこく言い続けるから、脱ぐに脱げないんじゃな いかっ!」 「だって、似合うもん…あ、でも空也。間違ってるよ」 「?」 「先生じゃなくて、今日からはおかあさんって呼ばなきゃ」 「…そうだったな」 晴子かあさんの居る場所は遠く、陽炎のゆらめく向こう側にあった。 「ここが神尾家や! 今日から空也と鈴香の家やでーっ!」 うれしそうに両手をぶんぶんと振るかあさんを見ながら、鈴香は目を細めながら呟いた。 「また、はじめられるんだね。あそこから…」 「…ああ、そうだな」 透き通るように綺麗な色の髪をポニーテールにまとめ、風を受けて微笑む鈴香。 あの時と同じ暑い夏の日、あの時と同じ澄んだ空。全てが同じで、そして全てが少し違 っていた。 「………ね、空也。あそこまで競争しよ」 「却下」 返答所要時間、0.5秒。 「えー…」 「思いっきり不服そうな顔をするな」 「だって、空也と一緒に走りたいんだもん…」 「………」 「走りたいな…」 俺を上目遣いに見やる鈴香。こいつのいつものおねだりモードだ。 「…わかった。じゃ『よーいどん』で、いっしょに走りだそうな」 「うん、わかった」 鈴香が走る体勢を整えようとしたのを見て、俺は即座に叫んだ。 「よいどんっ!」 だっ! 「あっ!」 驚いた顔のままで固まる鈴香を置いたまま、俺は駆け出した。 「わ、空也、合図が早過ぎるよ〜」 「知るかよ、ははは…!」 「…はは、あははは…」 笑いながら走り出す俺達。その目指す先は真っ直ぐ先にある、かって過ごした幸せな記 憶の場所。 そして、これから始まる新しい幸せのスタートライン。 「来いよ、鈴香!」 振り返って、俺は手を差し出す。 「…!…うん、空也!」 鈴香は微笑んで手を伸ばし、俺の手をしっかり握る。 暑い暑い夏の日差しの中、汗ばんだ二人の手。 それは遥か昔に離してしまった手を、今度こそは離すまいと誓うかのようにしっかりと 握られた。 遠くには、そら。 広がるのは、だいち。 だいちとそらが交わる所で微笑む、幸せ。 俺達はそれに向かって走り出した。 悠久の願いを込めて舞い上がった鳥のように。 END