(Leaf Visual Novel Series vol.3) "To Heart" after side story

「ETERNAL BELIVER」

Written by -->MURAKUMO AMENO HOME PAGE -->SEIRYU-OU KYUUDEN

Original Works "To Heart" Copyright 1997 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved


 機械の城。
 電子の巣。
 室内を微かに照らす、モニターの光。
かたかたかたたたたかたかたたかた
 窓一つ無い暗い室内に、キーボードを叩く音とコンピューターの稼動音だけが響く。
 この一昔前の狂的科学者(マッドサイエンティスト)の居城のような部屋は、現代の最先
 端をゆく電子科学研究所の一室である。
 とてもそうは信じられないような部屋だが、こういった人間の猥雑さを具現したかのよ
 うな雰囲気が、研究員一同えらくお気に入りらしい。
 古今東西、『最先端』とうそぶく人間の気性は変わらない・・・この光景はまるでそれを
 実証して示しているかのようだ。
 しかし、
 今現在のこの部屋の主は、こんな乱雑な機械の山に埋もれているのが似合わないほど若
 々しい二人だった。
 片方は女性。
 腰まで届く、透き通るような透明感を持つ長い髪。
 細面ぎみな顔と薄めの唇が印象的だが、肝心の瞳の上には分厚い眼鏡がかかっていて真
 実の追究を許さない。
 モニターの光が、その硝子のヴェールの向こうをより一層不明瞭なものにしている。
 もっとも、
 今、その事を嘆いているのは眼前で操られている電子の箱ではなく、彼女と背中合わせ
 でもう一つのキーボードを叩いている青年なのだが。
 もう片方は男性。
 一ヶ月前、極めて陳腐な(本人いわく、死ぬ思いで告げた)言葉で見事『主任の恋人』の
 地位をゲットした幸運な青年である。
 短くぼさぼさの髪、太い眉とその下に輝くきつめな眼光が強い意志をあらわす。
「な…何だよ、これ…」
 青年が毒づく。
「…主任!これっ…」
「知ってるわ。そういうものだって。」
 振り返りもせずに女性は告げる。
「なっ…」
 青年は、もう一度モニターを睨む。
 そこに並ぶ言葉は、無機質な部屋の光景に最もそぐわぬものだった。
 愛撫。
 舌。
 クリトリス。
 侵入。
 彼自身…
 このプログラムの宿主が、己の知る限りの淫猥な言葉でその行為を克明に書き出してい
 る。
 その様は、まるでポルノ小説のようだ。
「…なにを…させられてるんだ…俺…」
 青年の呟きに呼応するかのように、もう一つのキータッチ音がふいに止まった。
「続けて、」
「…一つ、言わせてもらいますけど…・」
「メイドロボのメモリーを通じて個人の生活を覗き見る事は、立派な服務規定違反、並び
 に犯罪ですよ!」
 にべも無く言葉を叩き付ける青年。
 再び響くキータッチの音。
かたかたかたたた
 不快な音とともに椅子を回す青年。
ぎぃっ
 主任の白衣ごしに見るモニターには、やはり同じような文字が並んでいる。
「それ、何年目のメモリですか。」
かたっ
「23回目のバックアップだから…再起動から5年目に突入、って所かな。」
「…はぁ…」
 冷静な声に抗議の意をそがれたらしく、青年は再び作業に戻る。
かたかたたたかたかたた
「特別な作業だって言うから、何かと思ったら…」
 途中に入るノイズを別個に保存して、削除する。女性から見た性の行為が延々と表示さ
 れ、再びノイズが入る。それを保存して…
 そんな単純作業を延々と続けているうちに、
「…?」
 青年は、ある法則に気付いた。
「…これ、ただのクラッシュデータじゃないな…」
 そのノイズと行為の描写の狭間、少しだけ別形式のプログラムが入る。
 ちょっとHMシリーズのオペレーションを行ったものならすぐに分かる、メインCPU
 に直接言語形式として認識される論理演算用の特殊テキストである。
「……」
 機械的に文字と文章とプログラムを認識、分類するだけの作業を中断し、
「解読してみよう」
 と青年は考えた。
 その行為自体が、彼の忌み嫌っている『他人の生活の覗き見』に他ならない事に気付き
 つつも。
『…理由を知りたいんだ、こんな雑多なプログラムの整理を、しかも秘密裏にやらされる
 理由を…』
 多くの追いつめられた犯罪者が発する詭弁のように、彼のその理論も傲慢な詭弁に過ぎ
 ない。
 だが、
 誰もが持つ疑問であり、当然の論理ではある。
 そして、青年自身も気付いていない事だが、彼がそう言った行動に出ると予想される事
 を含め、この人選は成されたのだ。
 彼を選んだのは、彼の想い人であり、尊敬する人。
 「主任」と呼ばれた女性であった。
「…!」
 テキスト解読を行っていた手が止まる。
 理路整然とした行動解析か、あるいはそれに類するものだと思っていた青年は、その内
 容に面食らっていた。

「猫さんが死んでいる。
 ご主人様はその見知らぬ猫さんを埋めた。
 ポジティブ(肯定的)。
 汎文化的な行動。
 ご主人様に確認。
 ネガティブ(否定的)。
 文化的範疇の内容ではないらしい。
 自己中心的な共感の部類。
 ポジティブと判断。
 共感から派生する思いやり。
 思いやりは人の本能?
 重要項目に該当。
 類似項目、他34件・・・」

「…この、思考体系…」
「まるで人間でしょ。」
ガタッ
 青年の椅子が鳴る。
 少しだけ楽しげな口調に彼が振り向くと、その口調通りに微笑みを浮かべた主任が椅子
 を回して彼を見つめていた。
 音がしなかった所を見ると、彼がテキストの解読を始めたころから見ていたらしい。
 困惑する青年を見て、くすくすと笑いをもらしている。
「ごめんごめん、驚かせちゃったかな?」
 その、場違いな程可愛い仕草に、一瞬彼の心は奪われた。
「…そ、そんな事より主任!一体これは何なんですか?」
 照れ隠しの怒声が室内に響く。
「これじゃ幼児用の教育コンピューターですよ!我々の保有するHMOSの論理演算方式
 では、絶対考えられない低レベルな処理です!」
「無駄も多いし、ね。」
「…そう、です…よ。」
 何もかもを見透かしているような彼女の言葉は、青年の心を多少なりとも熱っぽいもの
 にしている。
 じつは彼女は、この青年よりたった二歳年上なだけなのだが・・・
 この若さで開発部の一主任となった頭脳と良い、
 つかみ所のない性格と良い、
 この主任と相対すると青年ならずとも煙に巻かれたような気分になってしまう。
 だが、ここで引かない一本気なところが彼の長所でもある。
「…主任、いい加減教えてください。」
「何?」
「このプログラムの正体ですよ!」
ばんっ!
 今日は彼のスチールデスクにとっては受難の日らしい。
「ただの壊れたHMシリーズのプログラムなら、さっさと封印して廃棄してしまえばいい
 じゃないですか!それどころか、我々がこんな事を行っていると知れたら、重大な起訴
 問題に発展しますよ!!」
「ユーザーの息子さんの許可はとってあるわよ。」
「そうじゃない!」
 業を煮やした青年が声を荒げる。
「さっきも言った通り、この行為自体がすでに違法行為だと言ってるんです!」
「そうね、でも…このデータは貴重なものなの。ただのメイドロボの記録ではなく…一人
 の少女の感じた事なのだから…」
「?」
 複雑な表情の青年を尻目に、静かに立ちあがる主任。
「直接見せた方が…いいかもね。」
 静かな、しかし、強い意志をもって発せられた言葉を聞いて、青年は気おされていた。
 それは、ほとんど動物的な勘と言っても間違い無かった。
 青年の横を静かにすり抜け、主任は多数のコードが消えてゆく末端の場所に近づいてゆ
 く。
 薄暗い部屋の片隅、
 濃い緑色のビニールシートに隠された「何か」から多数のコードは伸びていた。
「貴方には、教えてあげる…この子の事を。」
ばさぁっ
 無造作に取り去られたシートの下、一人の少女がひざを抱えて眠っていた。
 青年は動揺する。
 涙の跡、
 ひざを力の限りつかんだ手、
 深い哀しみに眠る表情。
 背中と緑の髪の間から出る無数のコードと、そして耳があるべきところから白く張り出
 すセンサーの存在が無ければ、誰もが彼女を『泣き疲れて眠る少女』だと思っただろう。
 メイドロボがこの世界に進出して数十年、これほどまでに強烈な『感情表現』を行って
 いる機体を見たのは、その若い技術者にとってはじめての事だった。
「紹介するわ…HMX−12・マルチよ。」
 主任の発する言葉を聞いて、彼の驚きは殆ど驚愕の域に達していた。
「ろ、六十年以上前に生産された機体じゃないですか!なんで、こんな表情が・・・」
 そこまで言って彼は、主任の言った言葉に重要な意味が含まれている事にやっと気がつ
 いた。
「HM…『X』!?試作…いや、稼動試験型…」
「そう。」
 マルチに魅せられるかのように歩み寄る青年と対照的に、再び主任はデスクの方へと向
 かっていた。
「稼動試験に使われた量産直前の機体…でも、私の祖父はこの子にHMOSを組み込まな
 かったの。」
「そんな、HMシリーズに必須のオペレーションシステムを入れないなんて」
「その代わり。」
 彼の言葉を途中で遮る。
「祖父はある狂的ともいえる試みを以って、あるプログラムをこの子に与えたの…それが、
 このプログラム…」
 主任のデイスプレイの画面が、彼女の素早い操作に呼応するかのように見る見る変化し
 てゆく。
 「HMOS Ver3.6」
 と書かれた画面が消え去り、漆黒の中に短い一文が浮かび上がる。

 「KOKORO・Ver1.2」

「KOKORO…心?」
「自己学習能力を極限まで追求し、ともすれば自分自身でシステム自体を完全に書き換え
 る事の出来るプログラム『KOKORO』・・・祖父は、これをこの試験型に与えたの・・・
 祖父といっても、遠縁のお爺さんだけどね。」
 主任が背もたれに体重を預けると、椅子は小さくギシッと鳴いた。
「そんな危険なプログラム、試験型とは言えリスクが多すぎませんか?」
 研究員の顔に戻った青年が毅然と告げる。
 だが、
 その言葉を受けてなお、主任の表情は穏やかなままだった。
「もちろん非公式なんだけどね。」
 思わず声を荒げて反論してしまいそうになった青年は、主任の笑みを見てふと気がつい
 た。
 これは、いつもの討論じゃない。
 過去に起こった「何か」を、語りべとして彼女は話そうとしているのだ。
 彼は、その直感に従って口をつぐんだ。
 そして、
 その直感は的中していた。
「…祖父は、考えたの。人間以上の記憶力、人間以上の洞察力、人間以上の判断力、人間
 並みの理論的発想力…それを全て統合して、思考の枷を外してみたら…それは『人間以
 上の人間』になるって…」
 完全にぬるまったコーヒーを、少し喉に流し込む。
「…でも、いざ作ってみたら、『普通よりちょっと考える事が遅いだけの、まじめなメイ
 ドロボ』が出来上がっちゃった。」
「な、何でですか?」
 興味を以って青年が問う。
「…『根源的』すぎたのよ…何においてもね。」
 まるで祖父の自嘲をあらわすかのように、微笑む彼女。
「何を考えるにしても物事の根本から考えてしまうから、生真面目で、朴とつで、直接的
 な考えしかできなくなっていたの…でも、これすら改革してしまうだろう…祖父はそう
 考えたんだけど…」
 息を吐く。
 棒のようなため息だ。
「自分がロボットで、他の人に奉仕しなければならないメイドロボだと言う事すら意識し
 ていた彼女は…『普遍的、恒久的に役立つメイドロボ』を目指すようになったの…哀れ
 だと思わない?何も考えなくていいロボットと違って、わざわざ悩む事を与えられたロ
 ボットなんて…」
 モニターを睨み、はき捨てるように呟く。
「使えない、役立たずよね…」
 冷たい空気が、二人の間を静かに漂う。
「そ、そんな事…」
 偽善だ。
 分かっていても、彼の口は止まらない。
「そんな事ないでしょう!」
 彼の言葉を聞いて、彼に目を移した主任は、
「…そうよね。可能性を追求する事は、無意味では無い…」
 さっきの自嘲の笑みとは違う、とても暖かい笑みを浮かべた。その笑みに射抜かれたか
 のように、青年の頬が軽く染まる。
「祖父は、そのまま稼動試験を続けてみた…するとね、彼女の試験期間が終わる時、プロ
 グラムの中にあるものが発生していたの。」
「それは…?」
「…自分の存在意義、及び製造過程を考慮した上での周囲への還元行為…平たく言えば
 『感謝』…でも、それだけじゃないわよ。」
 興味深げな言葉に、いよいよ青年は彼女の術中にはまってゆくのだった。
「特定の人物に、多くの還元を行いたいと思う気持ちが生じたの。それも」
 彼女の頭に、マルチのメモリー内部にあった少年の顔が浮かぶ。

 その名は、藤田浩之。

「特定の男の子に、ね。」
「…」
 口に出したらたちまち陳腐に感じてしまう言葉。
 往々にして、そういう言葉は多いものだ。
「結局、しっかり自分を『女性型』だって認識していたのね…」
 嬉々とした様子に、小悪魔的なものを感じてしまう青年。しかし、そんな感情的な心と
 は裏腹に、浮き上がってくる何かを彼は口にした。
「…なんか、哀しいですね。」
「?」
 予想もしていなかった青年の言葉に、彼女は首を傾げた。
「結局はプログラムの一環として、最も自分を大切にしてくれる存在を『選択』しただけ
 じゃないんですか?」
 このまま美談で終わらせれば良い。
 一瞬そう思った彼は、その考え自体がひどく傲慢なものである事に気がついた。
「きっと選ばれた奴は喜ぶでしょう。見た目も、態度も、普通の女性より魅力的かもしれ
 ない…でも、それは冷静な計算の上に成された『選択』の結果なだけであって…」
 息を飲み、床を見つめて言葉を続ける
「本当の…『愛情』と呼べるものでは無い…と、思います。」
 一遍にそこまでまくしたてると、彼は自分の言葉を後悔するかのようなため息を吐いた。
「…やっぱり。」
 それを聞いていた主任は、ゆっくりと眼鏡を取ってつぶやいた。
「君を選んで、良かった。」
 眼鏡の下から現れた瞳…それは、不思議な輝きをたたえた湖。
 どこか現実ばなれした色彩を持つ、幻想世界の住人のような瞳だった。
「…主任?」
 密かに紡がれた言葉を追うように、顔を上げた。
 そして、
 その笑みの美しさを目の当たりにした彼は、本日最大の動揺を体験した。
「な、な、長瀬主任?」
 彼女の優しく虚ろな笑みは、モニターの上に浮かぶ『KOKORO』の文字に照らされ
 て彼の目に届いた。
 その光景は、
 電子が駆け巡る城塞の中に於いて、唯一現実を超越するものだった。
「私も、この話を聞いた時…そう思った…でも、違う…違ったの…」
「……」
 彼女の笑みの理由。
 自分が選ばれた訳。
 その全てを聞くために、彼は黙する。
「彼女はデータを採取して凍結処理される前、祖父たちにこう言ったらしいの。『私に色
 んな気持ちを教えてくれた人が居ます。その人にもう一度だけ会って、お礼がしたい』
 って…分かる?」
「?…いえ…」
「彼女は、はじめてそれを『望んだ』のよ・・・どう言う行動理念から?」

 望む・・・?
 決まってる。
 それをすることが、効率的である行動。
 他者の協力が必要ならば、それに関する理由が必要とされる行動・・・
 理由。
 メイドロボの販売促進?
 一般のイメージ改善行動?
 個体存続を願うエゴの発生?
 どれも、違う。
 少なくとも「ロボット」にとって良い事ではない。
 では、
 「個人」にとっては・・・?

 そう考えたとたん、
「…!!」
 彼は彼女の言葉の意味を理解した。

 メイドロボにとって『望む』と言う行為は、あくまで効率的に事象を動かす時だけに用
 いられる行動なはずだ。
 感謝と言う『心情』から、あまりにも非効率的な行動を『望む』こと…それは、ロボッ
 トにとってはあるまじき行為だ。
 あってはならない事なのだ。

「望んだ?ロボットが…?」
「…そう、『望んだ』の。」
 彼の反応は、彼女にとって満足に足るものだったらしい。言葉を続ける彼女は、いつも
 より生き生きとしていた。
「彼女の初めての自己主張を聞いた祖父たちは、その『彼』の元に彼女を行かせて、想い
 を遂げさせた。そして、そのデータの中にある『唯一人のご主人様』と言う言葉を見つ
 けた時…完全に、確信したの。『この子は打算や理論で彼を慕ったのではなく、自分の
 居場所として彼を求めたのだ』と。つまり…」
 鼓動の高鳴りを押さえるように息をついて、言葉を発する。
「女として、一人の男を求めたのだ、って…」
「…」

 心。
 不安定な、理論的ではない感情。
 それは、究極の内的進化を求めて世に解き放たれた者が見つけたもの。
 ひとの形をした、ひとではないものが望んだのは…人間以上では無く、人間になる事だ
 った。
 人が作り出し、
 人が育てたが故に…
 この皮肉な結果を、彼は唾棄すべきものだとは思わなかった。
 微塵も。
 その結論を出した彼の感情こそが彼の選ばれた理由であり、
 彼女自身すら彼を選んだ理由であった。
 青年は…
 柏木徹也は、そう確信した。

「うちの爺さんが、言ってましたよ…」
「?…なぁに?」
「想うって事は、何よりも強い力だって…だから、周りの人の想いが、彼女に心を持たせ
 たんじゃないか…そう思いますよ。」
 微笑みながら、徹也に言葉を向ける。
「…非科学的よ。」
「科学が全てじゃありません。」
「偽善的。」
「善を望まないよりはずっとましです。」
「独善的かも。」
「直せばいいんです、間違ったと思うまではね。」
「楽観的すぎるわ。」
「悲観で現実に勝てるなら、いつでも悲観主義に転向しますよ。」
 意地悪な笑みを浮かべる彼女。
「疑わないの?『本当に感情なのか』って。」
 穏やかに答える彼。
「人間の感情だって本能と紙一重なんだ…どれが感情なのか分からないなら、俺は自分の
 感じた事を…信じる。」
「…強情、徹也くんらしいね。」
「分かってて聞くところが…君らしい…と、思うよ。」
「…ふふっ」
「へへっ」
 二人で言葉も無しに微笑み合う。
 この温かさを感じた機械が居る…そう思うだけで、徹也はこの研究所で作業に従事する
 自分を誇りたい、と感じた。
「…結局、オーナーの浩之氏が死んだ時から、彼女のプログラム…『KOKORO』は開
 かなくなってしまった…でも、それで良いと思う。」
 作業のセーブを行いながら、彼女は話し続ける。
「この言葉の一つ一つが、彼女の愛された証であるなら、そのままに眠らせてあげたいと
 思うの。」
「…そうだね。そのためにも…彼女を好奇の目に触れさせる事無く、眠らせてやりたい…」
 少女を見やる徹也の目には、穏やかな光が宿っている。
「その心、そのままに…」
 さっき解読した、純朴な思考理論を徹也は思い出した。
「ありがとう、徹也くん…きっと、分かってくれると思った…」
 この作業を秘密裏に進める訳も、
 彼女の優しい願いも、
 すでに徹也の理解の内であった。
「メモリーの言葉、行動記録、その全てが彼女の思い出。メイドロボの中に生まれた、心
 の証…ねえ、知ってる?」
「何が?」
「このノイズね…こうやって、彼女の音声認識プロセッサで再構成すると…」
ザザッ
 小型スピーカーから、誰かの声が聞こえてくる。

 「…いいんだよ、それがマルチなんだから…」
 「…所詮ロボットなんだろ!黙れよ!!」
 「………こんな所で…馬鹿野郎!悪いのは、お前じゃないだろ…」
 「…ごめん、ごめんマルチ…もう、どこにも行かないでくれ…頼む…」
 「…いつまで、こうしていられるんだろーなぁ…」
 「…ったく、しょーがねぇなぁ…」
 「…愛してる、マルチ。」
 「愛してる。」
 「愛してる。」
 「愛してるよ…」
 「こうやって、みんなで…」

「直接データとして記録していたんだね…彼女しか分からない言葉で…」
「…ああ…よっほど大事だったんだろうな…」
 徹也は椅子に座る主任…長瀬魅耶子の隣に立ち、その肩を優しく抱いてそうつぶやいた。
ぱんっ
「いてっ」
 その手を叩く魅耶子。
「まだここでは部下でしょ…柏木副主任。」
「へいへい、長瀬主任。」
「よろしい。…じゃあ、ちょっと片づけて、帰ろ。」
「ああ。」
 徹也は床に落ちていたビニールシートを、そっと、肩から包み込むような形でマルチに
 着せた。
「おやすみ、…マルチ。」
 耳元でそう囁いて、立ち去る徹也。
「…良い夢を、ね…」
 閉じられた瞳に向かってつぶやく美夜子。
 その二人の影が研究室から消え、電子ロックが下りる音を最後に、部屋は完全な静寂に
 包まれた。
 その静寂は、部屋の中を満たして行く。
 世界で一番哀しく、
 世界で一番幸せな眠り姫を守るかのように。



                  END


WARUAGAKI

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美夜子。  その二人の影が研究室から消え、電子ロックが下りる音を最後に、部屋は完全な静寂に  包まれた。  その静寂は、部屋の中を満たして行く。  世界で一番哀しく、  世界で一番幸せな眠り姫を守るかのように。                   END
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