(Leaf Visual Novel Series vol.2) "KIZUATO" Another Side Story

「痕〜終りから始る物語〜」

Written by -->MURAKUMO AMENO HOME PAGE -->SEIRYU-OU KYUUDEN

Original Works "KIZUATO" Copyright 1996 Leaf/Aquaplus co. allrights reserved



序章「血まみれの追憶」

 夢。
 夢を見ている。
 俺がもう一人の俺と対峙する夢だ。
 しかし、
 この夢が夢では無い事を、俺は知っている。
 俺達は暗い部屋で向かい合い、心を伝え合うかのように互いの瞳を見つめている。
 たくましい体、突き刺すような赤く鋭い眼差し、不思議な服、そして・・・。その全てが
 俺と違っていて、しかしどことなく俺達は似ていた。
 ちょうど一年前、
 俺はある事をきっかけにこいつの存在を知った。
 激しい怒り、
 死への恐怖、
 あの時感じた感情が俺の中からこいつを蘇らせたのだ。
 その時の記憶が、複雑な気持ちと共に頭をよぎる。


               # # #


 下校途中、近道のつもりで通っていた河川敷きで、俺は不良とおぼしき奴に声をかけら
 れた。
『別に不良の一人ぐらいならなんとかなるだろう。』
 その時の俺はそう思っていた。
 だが、
「おーいみんなぁっ!こいつ東校の奴だぜぇ!!」
 そいつの声が響くと同時に、土手の向こうから無数の爆音が迫ってきた時、事態は変わ
 った。
 ふと気がつくと、俺は無数に響く爆音の中心に居た。
ヴオォォン、ヴォン、ヴオォォーーーン・・・
 排気ガスのにおいと下ひた声に囲まれて始めて、俺はこれから何が始まるかを知った。
「やっちまえぇーっ!」
「殺せ殺せぇ!!」
「東校の奴ぁぶっ殺しちまえーっ!」
 私刑だ。
 ・・・どうやら俺は、暴走族の奴らに、俺の高校の連中への見せしめに選ばれたらしい。
 奴らの手には金属バットや釘のついたこん棒などが握られ、バイクは獲物に襲いかかる
 前の猛獣のように、俺のまわりを回っている。
ビュンッ・・・
ドゴッ
「ぐぅっ!」
 何かが俺の後頭部を襲い、ついで吐き気をもよおすほどの痛みが頭の中に充満する。
ぶんっ
ガッ!!
 まただ。
「げはぁっ・・・」
 視界が回る
 立っていられない。
ヴオォォン・・・ヴオォォォーーーッ!!
みしっ
「うっぐあぁ!!」
 固い衝撃は俺の全身を幾度となく襲い、その痛みに耐え兼ねて倒れると、バイクのタイ
 ヤが俺の足や手を容赦なく踏みつける・・・あの痛みは、まさに地獄そのものだった。
 立ち上がっては殴られ、倒れては踏みつけられ・・・
 理不尽な暴力に対する嘆きも、
 襲いかかる痛みに対する恐怖も、
 その意識とともに消え去ろうとしていた。
 ただ、奴らへの怒りは激しく俺の心をゆさぶり、胸の鼓動だけが身を焼いていた。
 そして、
 俺の意識が消えかかったその時・・・

「・・・コロス!」
 何かが、俺の中で吼えた。
「ヤツラヲ・・・コロス!」
グオォォォオオオーーーッッ!!
 激しい咆哮と共に「奴」は目覚めた。
 深い悲しみの傷痕と鋭い怒りの牙を持つ、
 もう一人の俺が・・・

 死体のように倒れていた俺は、どす黒い咆哮を上げたかと思うと、幽鬼のように立ちあ
 がった。その体の傷はどんどんふさがってゆき、盛り上がった筋肉は制服を粉々にひき
 ちぎる。
 そんな現実離れした光景を目の当たりにした暴走族の連中は、恐怖に怯えるまなざしを
 俺に向け、ガタガタと震えだした。
 奴らの目の前で、俺の体は『鬼』と化したのだ。
 自分より弱いものに暴力を向ける存在が、
 命を奪うことを当然と思う精神が、
 何故か俺に激しい怒りを沸き立たせた。
 まるで昔の自分を見るような、己の愚行を見せ付けられているような・・・その怒りは、
 目の前の奴らに叩き付けられた。

 己を取り戻した俺が見たものは、鉄くずと化したバイクと血を流しうめく人間・・・そし
 て、血まみれの自分の腕だった。
 その後、
 混乱した俺はその場から逃げ出し、何処をどう走ったのか分からぬまま、あてどなく夜
 の山の中を歩き続けていた。
 ・・・そこで俺は、初めて「奴」の声を聞いた。
「貴様は誰だ!」
 「俺はお前だ・・・」
「この力は何だ!」
 「古の我らの力・・・」
「何だ!俺は一体・・・何なんだ!!」
 「償いをするのだ、そのために、俺はここに・・・」
 朝日が昇る頃、哀しい記憶の全てを思い出した俺達は・・・
 一つになった。


               # # #


「あの頃の事を、思い出しているのか。」
 目の前のやつが言う。
「ああ・・・」
 けだるそうに俺は答える。
「・・・なんだか、もうすぐ会えそうな予感がする。」
「あいつらにか?」
「ああ。」
「・・・そうだな、近くに同族が居ることは間違いない・・・」
「早く、会いたいな。」
「そして、終わりにしたい・・・」
「・・・じゃあな」
「うむ、さらばだ。」
 そして俺は目を覚ました。心地よい眠りと、昔の自分に別れをつげて。




「痕〜終わりから始まる物語〜」




第一章「邂逅と言う名の・・・」

 この町の商店街は、温泉街に連なっている事もあって、多数の土産物屋が並ぶ独特の雰
 囲気をかもしだしていた。
 だが、
 そんな情緒とは引き換えに、若者たちの集まる場所としてはいまいち不似合いだとも言
 える。
 そんな中で、数少ない若者の社交場であるゲームセンターは今日も盛況である。
 表に張ってある「ストW2ndインパクト入荷!」と書かれた張り紙が血気盛んなゲー
 マーなどを呼び込んでいた。
「おっしゃあっ!16連勝!」
 そんな威勢のいい声が、ゲーム音に満ちた店内に響き渡る。
 声の主は、太目の眉毛と短めのボサボサ頭が特徴的な青年。
 服装はと言えば・・・上は青のよれよれランニングに、下は毛羽立った灰色のスエット、
 そしてとどめはおばはん御用達のつっかけと、これ以上はないと言うほどラフな格好で
 あった。
 このだらしない男、名を「柏木耕一」と言う。
 一見すると普通の大学生に見えるが、三日前に起こった女子大生誘拐事件を解決した男
 である。
 ・・・ただ、その事実は彼と彼の従姉妹であり恋人の柏木楓しか知らないため、その事件
 の功労者は未だ謎のままとなっていた。
 そんな彼の特徴の一つとして、とても状況に流されやすいと言う一面がある。
 事実、この商店街に来た理由も、大学の友人へのお土産を買うためだったはずだっだの
 だが…察するところ、前述の張り紙に心を奪われたらしい。
 延ばしに延ばした滞在期間もあと数日で終わると言うのに、まったくのんきな話である。
「鬼に目覚めてから、妙に頭が冴えるな・・・」
 耕一は自分の変調に気付き、それを感じながら生活していた。
 対戦ゲームだけではない。体を動かす時といい、物事を考える時といい、全てにおいて
 調子がいい。
 鬼が耕一の中に占めている割合はだいぶ大きいものだったらしく、(実際、耕一の鬼の
 能力は半端ではない)それをいつでも使用出来るようになった耕一はちょっとしたスー
 パーマン気分になっていた。
 こんな対戦ゲームで連勝する事も、今の彼にとっては造作も無い事である。
 だが、
 7人目の挑戦者がコインを投入してきた時、ちょっと状況が変わった。
チャリン、
 向かい側の筐体から、コイン投入の音が耕一の耳に届く。
「おっ、また挑戦者か?」
 案の定、ゲーム画面に大きく『HERE COMES A NEW CHALLENGER!』の文字が映し出され、
 続いてキャラクターの選択画面に変わる。
「ふっ、この俺に挑戦するとは、命知らずな奴め・・・ふっふっふ」
 余裕の笑みをかましつつ相手の動向を見るつもりだった耕一・・・だが、その考えは瞬時
 にして破られた。
「ラウンド1・ファイト!」
 の声と共に相手のキャラが耕一のキャラに猛然とダッシュをかけてきたのである。
「特攻かっ!」
 一瞬たじろいだ耕一だったが、瞬時に相手の無謀な意図を見抜き、リーチがあって出が
 早い大足払いを放った。
 ところが、
 フワッ・・・ビシッ!
「?なにっ!」
 相手はその攻撃を予測していたかのように、一瞬だけ宙に浮いて足払いをかわしながら、
 中段の攻撃を耕一に当てた。リープアタックと呼ばれる特殊攻撃である。
「・・・つ、強い!?」



 挑戦者はかなりの手練れだった。最初に一本を先取したものの、二本目の開始からは耕
 一の攻撃パターンはあっさり無効化されてしまい、逆にカウンター攻撃を食らい続けて
 しまう。
 その後、三本目はいいところまで追い詰めたのだが、超必殺技を無敵対空技で返されて
 しまい、たたみかけるような中段攻撃からの連続技でとどめをさされてしまった。
「ちっ・・・ちくしょー!」
 その後、耕一も数回挑戦をかさねたが、どうしても勝てないまま財布の中の小銭が消費
 されて行く。
 前に対戦した女の子のようなハメ技での強さではない。
 駆け引きの良さ、見切りの正確さが素晴らしい、いわば「正統派」な強さである。
「くそーっ!一体どんな奴なんだ!」
 七回目の挑戦に敗れた耕一は、相手の顔を拝もうと立ち上がった。相手もそれを察した
 らしく、モニターの上から覗く耕一の顔を見上げた。
「・・・!」
 その瞬間、耕一は時間が止まったかのような感覚をおぼえた。
 心臓が早鐘のように胸を打ち、耕一の頭の中を高速で色々なビジョンがよぎる。耕一は
 その記憶の奔流に戸惑いながら、少年の顔を注視した。
 少し跳ね上がった前髪。
 一文字に結ばれた口元。
 骨太そうなあご・・・一見、どこにでもいるスポーツ系の少年の顔立ちだが・・・その年不相
 応に鋭い眼光が、あの系譜を継ぐ者としての証となっていた。
「こ、こいつは・・・ひょっとして・・・」
 耕一は胸を押さえ、椅子を倒しながらこの場を立ち去ろうとした。だが
「待ってくれ!」
 学生服を着た少年が耕一を呼び止めた。今まで耕一が対戦していた彼である。
「あんた・・・エルクゥだな?」
「お、お前は一体?」
 少年は静かに、しかし、はっきりとこう告げた。
「俺の名は楠木裕也、・・・あんたと同じ、エルクゥだ。」
 彼の背後でゲームの画面が「GAME OVER」の文字を映し出していた。


               # # #


第二章「想いの記憶」

「人を・・・探しているんだ。」
「人を?」
「そうだ。」
 裕也はアイスティーからのびるストローに口をつけ、少しだけ喉にそれを流し込んだ。
 人の少ない午後のファーストフード店にカラン・・・と氷のなる音がこだまする。
「しかし裕也、今の話を聞く限りだと・・・」
「・・・そう、実際、探している相手が現代に転生しているとは限らない。」
 裕也は、耕一の言葉を苦々しくも肯定した。
「それは分かっている・・・分かっているんだ・・・だけど・・・」
 苦しげに言葉を続ける。
 その表情には、明らかな憔悴の念が浮き上がっていた。
「前世の記憶の縛られている今の俺には、その事しか考えられないんだ・・・」
 そう言われて耕一は少し動揺した。
 耕一と裕也は鬼の一族である柏木家の事や鬼の覚醒について話す内に、二人は、互いが
 友情とも違う奇妙な連帯感を感じている事に気付いていた。
 そして、裕也が自身の身の上を語る時に言ったその一言は、耕一の心を揺さぶった。
『・・・俺も楓ちゃんを探していたし、楓ちゃんも、俺の事を・・・』
 耕一は自分のあの時感じた切なさをふと思い出し、裕也が同じような感覚を感じている
 事にちょっとした同情と親近感を覚えていたのだ。
「・・・そう言えば、」
 そんな耕一の思いを知ってか知らずか、裕也は身を乗り出して耕一に話しかける。
 初めて同族に会った喜びもあるのだろうが、基本的に人見知りしない、明るい態度は彼
 本来のものらしい。
「耕一さんは、あんたを探していたエルクゥと接触して、覚醒したんだよな?」
「う〜ん、まぁ、そうだけど・・・」
「しかし、良く見つかったよなぁ・・・俺も耕一さんみたいに、探される側の方が良かった
 な。」
「は、はは・・・」
 さすがに肉体関係を結んだ事が覚醒のきっかけだ、とは言えない耕一は、しばらく言葉
 を濁していた。
「仕方ないよ、お前も地道に探すしか無いんじゃないか?」
「そうか・・・う〜ん」
「そうでなきゃ、もっと他の覚醒したエルクゥと接触して、情報を・・・」
 と、その時。

「確か・・・前にもこんな事があって・・・」

 ふいにいつぞやの初音ちゃんの言葉が頭をよぎり、それと同時に耕一の頭にはある考え
 が浮かんだ。
『そうか・・・体の接触じゃなくとも、エルクゥ同士が出会えば、鬼としての感覚が鋭くな
 るのかもしれない!もしもそうなら、他のエルクゥを探す事も・・・』
 ちらりと裕也を見やる耕一。
『すでに覚醒している裕也なら、危険も無いだろう・・・』
 考えをまとめた耕一は、目の前でいぶかしげな表情をしている裕也を見据えた。
「なぁ、耕一さん。さっきから何だまって・・・」
 その言葉を最後まで聞かずに、
ぽん、
 耕一はおもむろに裕也の肩に手を置いた。
「・・・よし、裕也!」
「?」
「うちに来いよ!ひょっとしたら、記憶を取り戻すてがかりがあるかもしれないぜ!」


               # # #


 家へと向かう道中、耕一と裕也は色々な事を話していた。
「へぇ、じゃあ初音ちゃんと同じ学校なのか、案外知り合いだったりして。」
「でも俺転校生で、同級生の名前すらちゃんと覚えてないからなぁ。それに・・・その娘っ
 て一年だろ?俺、三年だぜ。」
「知らない、か・・・おっと、ここだ。」
 何回もここをくぐった耕一でさえ気おされる柏木家の門は、夕日の中にそびえたちなが
 ら、初めてここに来た裕也を完全に威圧しきっていた。
「うわー、すっげぇ・・・」
 そう言いながら門を眺める裕也の後ろで、誰かが耕一に声をかけた。
「あ、お兄ちゃん。今帰ったの?」
 耕一が振り向くと、そこには、スーパーのビニール袋を両手にもった初音ちゃんが立っ
 ている。
 噂をすれば・・・と言うやつだ。
「ああ、おかえり、初音ちゃん。」
「えへへ、ただいまっ・・・あれ?あの人だれ?」
 初音は耕一のわきから裕也の後ろ姿を見て、そう言った。
「えっ、うーん・・・何と言うかな・・・」
 鬼の事も前世の事もはっきりとは覚えていない初音ちゃんに、どう説明するべきか耕一
 は悩んでいた。
 耕一のそんな様子を知ってか、柏木家の門構えに一通り感心し終えた裕也は、二人の所
 へやってきた。
「どうしたんだ?耕一さん・・・あれ?」
「あ、こんにちは先輩。」
 裕也の襟章を見た初音が軽く会釈をする。あわてて耕一は初音に裕也を紹介しはじめた。
「あ、俺のゲームのライバル・・・みたいなものかな、楠木裕也って言うんだ。んで裕也、
 この娘がお前と一緒の高校に通ってる、初音ちゃんだ。」
 鼻の頭を掻きながら、戸惑うように裕也は初音を見た。
「お、おっす、君が初音ちゃん?」
「はい。ゲームって、あの格闘何だかって言う・・・?」
「そうそう、耕一さんって、結構ゲーム強いんだぜ!」
 裕也の肩に手をやりながら、耕一もその言葉に応える。
「良く言うぜ、俺をあそこまで叩きのめしやがって〜初音ちゃん、こいつを格ゲーのコー
 チにしたら、梓にだって勝てるよ。」
「そうなの?じゃあ、コーチお願いしようかな・・・」
「そうそう、こいつもそれで遊びに来たんだし・・・なっ!」
 耕一は裕也に同意を求めた。表面上は穏やかだが、その目からは強烈な『話あわせろ!』
 光線が発せられている。
「あ、うん、まぁ・・・ね。」
 耕一の眼光に気おされてうなづく裕也。
「ふーん・・・じゃあ、よろしくお願いします、先輩。」
 初音はにこやかに笑って手を差し出してきた。
「・・・あ、ああ、よろしく。」
 照れくさそうに裕也は初音の手を握った。
 その時、

・・・ドクン!

 一瞬、血が逆流するかのような感覚が耕一を襲う。
 目の前が真っ赤に染まる。
「な・・・何だ!?」
 耕一の戸惑いをよそに、裕也と初音は互いに見つめ合っていた。
 その場に居る三人に、さっきの耕一と同じ、共鳴現象が起こったのだ。
 しかし、
 今度は少し様子が違っている。
 流れ出したのはさっきのような無秩序な記憶の奔流ではない。



 それは・・・確かな意志を持って導き出された・・・遠い日の記憶だった。



 耕一の頭の中に、映像が流れる。先ほどのような高速映像ではない。はっきりとした画
 像が見えるのである。
 紅く染まった風景と、
 そこにたたずむ二人の姿も。
 その二人がエルクゥであることはその特異ないでたちから容易に分かる。だが、二人の
 顔に見覚えがない。
 ・・・いや、自分は絶対に知っているはずなのに、どうしても思い出せない・・・
 耕一はそんな感覚に戸惑いながら、夕日に照らされた野原の真ん中で、何事かを言い合
 う二人を眺めていた。
「ガル!イクセ・・・バレディ!」
「・・・ノト・・・シゼ、レオーム・・・」
 一方の青年はなじるような口調でもう一方の少女を責め立てている。少女はその胸に刀
 を抱きながら、細々とその言葉に答えていた。
 二人の会話はしばらく続いていたが、突然、青年は少女につめよると、爪を鋭角化させ
 て腕を振り上げた。
 危ない!
 そう思って少女は目を伏せた
 ・・・が、
 男はその腕を振り下ろさず、そのかわりに少女を優しく抱きしめた。
「・・・?」
 不思議な表情をする少女を離し、青年は少女に背を向け、立ち去ろうとしていた。
「べルファス、レカ、クロ・・・ユディーラ、リネット・・・」
 青年は哀しそうにそう言い放つと、草原の向こう側に向かって去って行く。
 理解できないはずの、エルクゥの言葉・・・だが、その青年の最後の言葉は、耕一にはこ
 う聞こえた。
「もう、会う事もないだろう・・・幸せになれよ、リネット・・・」

 白昼夢のような感覚から抜け出した耕一は、自分の頭をはっきりさせるべく頭を激しく
 振った・・・が、耕一の眼前には、さっきと同じ光景が広がっていた。
 いや、
 違う。
 降り注ぐ夕日の光こそ同じだが、場所は見慣れた柏木邸正門前である。
 しかし、耕一の目の前で抱き合う裕也と初音は、さっきのエルクゥの二人ととても良く
 似ていた。
 耕一が、何かを直感してしまうほどに。

「会いたかった・・・ずっと、ずっと」
「な、何で・・・何で?」
 裕也に抱きしめられながら初音は、ポロポロと涙をこぼしていた。
「お前の気持ちは分かっていたんだ、だから、俺は・・・お前に幸せになって欲しかったか
 ら・・・」
「そんなのって・・・ないよぉ・・・」
 初音は裕也の胸から顔を上げると、泣き顔を裕也に向けた。
「本当に・・・あたしを?」
「ああ・・・ずっと前から、お前の事を」
 裕也と初音の顔がゆっくり近づく。
「愛していたんだ、リネット・・・」
 裕也のつぶやきが消えた瞬間、二人の唇がゆっくりと重なった。
 耕一は言いようの無い不思議な感覚につつまれ、二人が長いキスを終えて見つめ合うま
 で、その光景を只見つめていた。
 次の瞬間。
「チェストオォォーーーーッ!!!!」
ドゴォッ
 豪快な叫び声と共に裕也の頭部がアスファルトに叩きつけられた。
 相手を後ろから抱え込んで、そのまま背中を後ろに反らせて投げる。「ジャーマン・ス
 ープレックス」と呼ばれるプロレス技の芸術品である。
 耕一の記憶によると、こんな完璧な投げをうてる人物はこの近くでは一人しかいない。
「!!・・・・・・」
 あわれ、叫び声も出せずに大地に沈んだ裕也を放して、その人物がスカートの汚れを払
 いおとしながら耕一ににじり寄ってきた。
 その表情は・・・まさに鬼そのもの。(BGM・鬼神楽)
「こ〜う〜い〜ちぃ〜」
「よ、よう梓、今日は・・・」
 早かったな、と耕一が言うより早く梓の足が耕一の首にかけられ、耕一の左腕と腰と首
 が瞬時に締め付けられて悲鳴を上げ始めた。
 メキメキメキメキ
「ぎえぇ〜〜〜ギブ、ギ、ギブアップ〜!」
「耕一!あんたがいながら何をボケーっとしてるのよ!」
 耕一を卍がために決めたまま、梓は耕一の五体を締め上げ続ける。
「初音はけっこう人気があるから、いつかはこんな手合いの奴が来るんじゃないかと思っ
 ていたけど・・・案の定ね!」
「じ、自分が女の子にしか相手にされないからって・・・」
「・・・聞こえてるんだよ!」
 ミシミシミシミシミシミシ
「うぎゃぁーーーーーっ!」
 あわれ耕一は「キジも鳴かずば撃たれまいに」と言うことわざを、身をもって実践する
 はめに陥っていた。
 全く一言多い男である。
「だいじょうぶ?初音!」
 梓は技をかけたまま初音に声をかけたが、
「・・・・・・・・・」
「・・・は、初音?」
 当の初音は顔を耳まで紅に染めて、虚空を見つめたまま何かをつぶやいていた。
 頭からは湯気が上がっている。
「・・・・・・しのファーストキス、あたしのファーストキス、あたしのファーストキス、あた
 しのファーストキス、あたしの・・・」
 そして、
「・・・ふにゃあぁ〜」
 と吐息をもらしながら、
ぱたっ
 ゆっくりと後ろに倒れ込んだ。
「あっちゃあ〜気絶しちゃった・・・」
 梓があいている左手で顔面を押さえるのと、黒塗りの車が門の前に止まるのは同時だっ
 た。
ガチャリ、
 と言う重厚な音と共に後ろのドアが開き、柏木四姉妹の長女、柏木千鶴が現れた。
「まぁ、梓。それにみんなも。」
「千鶴姉、聞いてよ!実は・・・」
 あらわれた千鶴にそこまで言いかけて、梓は、この状態を見つめる千鶴の表情がとても
 穏やかな事に気がついた。
 ・・・いや、むしろ笑みまで浮かべているではないか。
「・・・姉さん?」
「なぁに?梓」
「念のために聞いとくけど・・・この状況、分かってる?」
「えぇ、もちろんよ。」
 千鶴は両手を胸の前でポン、と合わせ、満面に笑みを浮かべてこう言った。
「みんな、仲良しでなによりね。」
「千鶴姉・・・」
 気絶したままの耕一を締め上げつつ、梓は冷ややかな目で千鶴を見つめた。


               # # #


第三章「古(いにしえ)の向こう」

 門の中から一部始終を見ていた(!)楓の証言によって痴漢容疑が晴れた裕也だったが、
 梓の一撃によるダメージは大きく、未だ目を覚ませずにいた。
 とりあえず耕一の隣の部屋に寝かされた裕也は、初音の介護を受けている。
「うん、これで良しっと」
 裕也の額に濡れ手ぬぐいを置いた初音は、じっと裕也の顔を覗き込む。
「・・・?」
 初めて会ったはずなのに、懐かしい感覚・・・それに、胸の鼓動がどんどん早くなるこの
 気持ち・・・一瞬、裕也の顔と別の男の顔がダブる。
「・・・・・・」
 何かを思い出しかけた初音だが、
「・・・!や、やだぁ・・・」
 裕也の顔と至近距離までくっついている事に気付き、顔を赤らめながらその場を立ち去
 った。


               # # #


 初音は夕食の用意ができた居間に入り、後ろ手でふすまを静かに閉める。
「どうだい?裕也の様子は」
 耕一の問いに初音は表情を曇らせた。
「まだ意識が戻らないみたい・・・」
「そうか、・・・よーっぽど強い打撃だったんだな。」
 といって耕一は梓をじっと見る。
「な、なんだよ・・・わかってるよ!謝りゃいいんだろ!謝れば!」
 ふんっ!と鼻を鳴らしてそっぽを向く梓をみて、他の三人がクスクスと笑う。
「彼・・・私たちの遠縁の子なのかしらね・・・」
 ふいに真面目な顔をして、千鶴が話を切り出す。
「遠縁?・・・って事は、俺達以外にも鬼の血をひく者が・・・」
「はい、耕一さん・・・その昔、私たちの一族は、鬼の血を他の所へ出さないために、時に
 は間引いてでもその血を管理し続けました。」
「まびくっ・・・て?」
 初音が首をかしげると、その向かいに座る楓が静かにそれを説明した。
「生まれてきた子を殺したり、捨てたりする事よ。」
「えぇっ・・・可哀相・・・」
「昔だよ、昔。」
 初音の言葉を梓がさえぎる。
「でも、千鶴さん。そんな事をしたら近親婚になって・・・」
 耕一の言葉に千鶴はうなずく。
「そうです、鬼の血が遺伝子的に強いとはいえ、近親婚を繰り返してはいけない。そう思
 った数代前の柏木家頭首は、この掟、鬼の血を守る掟を無くしてしまったのです。
 ・・・でも、それによって、鬼の血にある変化がおこってしまった・・・」
 周囲に重い空気が流れる。
「一つは、鬼の血を継ぐ者が柏木家以外に現れてしまった事・・・もう一つは、鬼の力の変
 貌・・・女の鬼の力はかなり弱まり、男は自分の中の「人」によって「鬼」を制御しなく
 てはならなくなった。そして、制御できなかった者は・・・」
「死ぬか、殺される・・・そうだね、千鶴さん。」
「えぇ・・・でも、あの子は制御ができるみたいです。」
「なんだか、強い意志を感じる・・・」
 ふと楓がつぶやく。
「?どう言うことだい?」
 耕一の問いに楓は耕一の目を見て話し始める。
「私たちのお爺さんも、耕一さんも、その意志の力で鬼の血を克服しました。でも、ただ
 気が強いとか、そう言うものではなくて・・・」
「使命感とか、責任感とか・・・そんな感じ?」
「そうです、思い出して下さい耕一さん。貴方が鬼の血に勝った時の事を。」
 楓に言われるまま耕一は思い出していた。
 楓が身をていして自分をかばってくれた時、楓を守れなかったと言う絶望と、楓を愛し
 ていると気付いた気持ちが、自分の中の鬼をねじふせた事を。
「想いが、鬼の血を克服する鍵なのか・・・」
 そう思ってふと楓の方を見ると、楓は楓で耕一をぼうっと見つめていたらしい。期せず
 して二人の視線はもろに合ってしまう。
「あっ・・・」
 とつぶやいて顔をそむける楓だが、一瞬見えた頬の桜色は、耕一の胸を貫いた。
「どうしたの?楓お姉ちゃん」
「な、何でもないわ。」
 初音の純真な瞳は、今の楓にはちょっとつらいらしい。
 笑いをこらえている千鶴と、自分のどぎまぎに戸惑う耕一はそっぽを向き、そんな彼ら
 を見ながら梓は初音と同じく首をかしげていた。


               # # #


 夜の8時をまわった頃、裕也は目覚めた。額にかけられた手ぬぐいを手に取ると、それ
 を見つめながらゆっくりと口を開く。
「そうか・・・そうだったのか・・・あの時と同じ・・・」
 一瞬、裕也の脳裏に初音の顔が浮かび、続いて耕一の顔が浮かぶ。
「奴との決着をつける、そして、リネットを・・・」
 そうつぶやいた彼の瞳は真紅に染まり、縦に裂け、人外のそれとなっていた。


               # # #


 夕食も済み、それぞれが自分の部屋へ戻ると、静寂が柏木家の中を満たす。
 そんな中、一つの影が廊下を歩いていた。
 コンコン
 楓の部屋の扉がノックされ、カチャッと言う小さな音と共に扉が少しだけ開く。
「・・・耕一さんですか?」
「ああ、千鶴さんは?」
「私も居ますよ。」
 中から千鶴の声が聞こえる。
「じゃあ、お邪魔するよ。」
「はい、どうぞ。」
 楓の答えを待って、耕一は部屋の中へと入って行った。
「それで、楓ちゃん。裕也の前世に思い当たる事はあるかい?」
 向かい合う千鶴と楓の横に座りながら、耕一はそう言った。だが、楓から返ってきた答
 えはあまり良いものではなかった。
「いいえ、おそらくエルクゥの戦士の一人でしょう、と言う事しか・・・」
「そっか・・・」
 やはりそう都合よくはいかないか・・・と耕一は思ったが、それ以上にさっきから二人の
 態度が固い事に気がついた。
「どうしたんだ?二人とも。なんだか黙りこくっちゃって。」
「耕一さん、実は楓が・・・」
「姉さん、あたしが・・・話します。」
「・・・そうね。」
「?」
 二人のやり取りをじっと見つめていた耕一は、なにかとても言いにくい事を口にするよ
 うな二人の雰囲気を察して、だまって楓の言葉を待った。
「耕一さんもご存知の通り、私たち姉妹の前世はエルクゥの皇族の姉妹でした。」
「ああ・・・そして俺は、エルクゥを滅ぼした侍、次郎衛門だった・・・」
「そうです。他のエルクゥがこの世に転生しているかどうかは分かりません・・・でも、一
 つだけ言える事があるんです。」
「何だい?」
 少しの沈黙の後、楓がゆっくりと口を開いた。
「私たち姉妹は、人間に内通した罪で同族によって・・・殺されてしまいした。」
「私も・・・実の妹を・・・殺した後・・・」
 千鶴は、うつむきながら苦しそうにそうつぶやいた。
「でも、妹のリネットだけは次郎衛門に鬼の武器を渡し、次郎衛門の妻として一生を終え
 ていきます・・・その鬼の武器と呼ばれる物によって、他のエルクゥたちは全滅するので
 す。」
 千鶴がその後を続ける。
「つまり、エルクゥたちが一番怨んでいるのは、内通したエディフェルでも、私や梓・・・
 アズエルでもなく、その武器を渡し生き延びた・・・」
「リネット!つまり・・・」
「そう、初音です。」
 意を得た耕一の言葉を受けて、千鶴ははっきりと言った。
 一瞬、
 耕一の脳裏に、リネットとおぼしき少女の姿が浮かぶ。
「彼がエルクゥの戦士ならば、確実に初音を襲ってくるでしょう。それだけは何としてで
 も避けなければ・・・」
 リネットのビジョンに続いて、耕一の胸を何かがよぎる。
 それは、あの時耕一が感じた『直感』そのものだった。
「・・・いや、千鶴さん」
「?」
「その心配はない・・・と思うよ。」
「?・・・どうしてですか?耕一さん。」
 千鶴は耕一の言動の理由が分からず、首をかしげて耕一に問いかけた。
 だが、当の耕一もその言葉に確信がある訳ではない。
 ただ、
 先ほど見た記憶の中での裕也は、リネットを憎んではいなかった。
「いや、むしろ・・・」
 と、耕一がつぶやきかけた瞬間、
 ガシャーン!
「あっ・・・きゃあぁぁぁぁーーーー!!」
 隣の部屋からガラスの割れる音と、リネット・・・初音の叫び声が聞こえた。
「!」
 三人は楓の部屋を飛び出て初音の部屋に飛び込もうとしたが、部屋にかけた鍵がそれを
 無情にも拒んだ。
「二人とも、どいてくれ!」
 瞬間的に鬼の力を解放した耕一は、樫の木づくりの扉を手刀で突き破り、部屋の内側か
 ら引きはがすかのように扉を破壊した。
 ドアを突き破らなかったのは、部屋の中に居る初音に被害が行かないようにする配慮か
 らだ。
 すでに耕一は、ここまで鬼の力を使いこなしている。
 だが、
 戦闘用に冷静になった耕一の頭脳でも、その部屋の中の光景は衝撃的だった。
「やぁ、耕一さん・・・いや、我らがエルクゥの敵、次郎衛門。」
 窓に左足をかけたまま、裕也は三人を見て薄笑いを浮かべていた。
 周囲に散らばるガラスの破片が、裕也の右手に握られた古ぼけた刀を照らしている。
「あ、あれは・・・」
 楓はその正体に気付き、全身を覆う震えに負けてへたり込んだ。
「楓ちゃん!?」
ビシィッ
「・・・ぐ、ぐぅっ!」
 同時に耕一の体を目にみえない鎖が縛り上げる。見えない力に拘束されて片ひざをつく
 耕一をみて、千鶴は思わず声を上げてしまった。
「楓!耕一さん!」
 震える楓を見た裕也は、声を上げて笑い出した。
 そして、
 その右手の物体を掲げる。
 まるで、その刀で耕一たち三人を遮るかのように。
「はっはっはっ!エディフェルは気付いたようだな・・・そうだ!これこそが我らの究極の
 武器、エルクァルディーント・・・人間風に言うなら鬼角斬剣だ!」
「鬼角斬剣・・・」
 その刀から発せられる妖気は強く、鬼の力をもってしても耕一を金縛りから開放する事
 はできなかった。
 裕也の左手に抱えられた初音を助ける事も。
「ぐっ・・・は、初音・・・ちゃん・・・」
 初音はぐったりとしたまま、一言もしゃべらないでいる。
 おそらく、裕也の一撃で気を失っているのだろう。
「は・・・初音ちゃんに・・・何をするつもりだ!」
「別に、何もするつもりは無い・・・貴様らの態度次第だがな・・・」
「なんだと!」
 思わず怒声を発した耕一を睨み付けるかのように、裕也は視線を落とした。
「・・・一時間後、我らの基地の前で待つ。」
 そしてその視線を、楓へと向ける。
「エディフェル、お前なら覚えているだろう・・・そこで俺と戦え、次郎衛門!」
「そ、そんな・・・あんな武器があったら、たとえ耕一さんでも・・・」
 千鶴が絶望的なうめきをもらす。
 当の耕一も、鬼角斬剣を手にした裕也に勝つ事は難しいと感じていた。たとえ、自分の
 中の鬼を完全に開放しても、
「五分五分ってところか・・・」
 それが正直な感想である。
 そのつぶやきを聞いたか否か、
ばっ
 裕也は窓の外に一気におどり出た。
「ま、待って・・・」
「動くな!」
 動こうとした千鶴を制すると、外に立った裕也は再び三人に向き直った。
「エディフェルと次郎衛門・・・お前たち二人だけで来い、他の奴らに邪魔されたくはない
 からな・・・」
「くっ・・・」
 くいしばった耕一の歯がキリッと鳴る。
「約束を違えた場合、リネットはどうなるか・・・容易に想像がつくだろう。」
「・・・も、もうよせ、裕也。」
「?」
 気力を振り絞って耕一は立ち上がろうとした。
「お前に、初音ちゃんは・・・リネットは、傷つけられないはずだ・・・そうだろう?」
「・・・」
「前世でのお前は、リネットを・・・」
「黙れっ!」
 耕一にそう一言叩き付けると、裕也は背中を向けて夜の闇を睨み付けた。
「・・・これ以上の問答は無用だ・・・また会おう!次郎衛門!」
 漆黒の夜の闇に裕也は跳躍した。
 雲に隠れていた月が窓の外をてらした時、もうすでに彼の姿は消えていた。においも気
 配も、足音すらも残さずに。
「ねぇねぇねぇ!どうしたの?強盗?ひょっとして痴漢!?」
 三人の後ろから、バスタオル一枚を身にまとった梓が、水滴をポタポタたらしながら走
 って来た。どうやら遅い風呂を堪能していたらしい。
「いや・・・」
「?」
「鬼だよ・・・雨月山のなぁ!」
 毒づきながら耕一はドアのくっついていた柱を拳で叩いた。鋼鉄性のちょうつがいがひ
 しゃげる様を見て、梓は事の重大さを知った。


               # # #


第四章「月下、そして旭日」

 濃い紫に染まった夜空に薄い霞のベールをかぶった月が浮かび、その月光は鬱蒼と茂る
 木々の間から、神秘的な光を投げかけていた。
 朧月夜とはこんな月夜の事を言うのだろう・・・  
 耕一は脈絡も無く夜空を見上げ、そう思った。昔の自分もこんな月の元で、命のやりと
 りをしていたのかと思うと不思議な感じがする。
「ここ・・・です」
 楓の一言で耕一は現実に戻った。柏木家の近くを流れる川の上流、その横にある雑木林
 の中に高さが5,6mの小さながけがあった。耕一は足元の草を踏みしめつつ、そのが
 けを見上げる。
「この上がエルクゥの住処なのかい?」
「いえ、違います。ここにあるはずの・・・」
「そうだ、この洞窟だ。」
 ふいに至近距離からした裕也の声に、思わず耕一は楓と共に飛びのいた。
 同時に、ブウゥンと言う機械の作動音と共にがけの下に洞窟が現れる。
「よく来たな、次郎衛門。」
「お兄ちゃん・・・」
 洞窟の闇の中から裕也と初音が現れた。その後ろで再び機械音が鳴り始め、それに呼応
 するかのように洞窟が消えてゆく。
「初音ちゃん!」
「待て!」
 裕也は初音に駆け寄ろうとした耕一を制すると、初音に何かをささやいた。
「・・・・・・」
 それを聞いた初音は、こくりとうなづいて何やら呪文らしきものを唱え始めた。
 裕也の鬼角斬剣が低い音を立ててうなり始めたかと思うと、地面の下から何かか崩れる
 ような轟音が響き始める。
「な、なんだ!これは」
 うろたえる耕一に裕也は静かに答える。
「我らの仲間の最期だ・・・」
「?」
 一分ほどで音は止み、同時に鬼角斬剣のうなりもおさまった。
「ごめんね、みんな・・・ごめんね、ヨーク・・・」
 初音はそう言いながらうつむき、静かに泣き始めた。
「仕方がない・・・彼らはすでに数百年を幽体だけで生きていたため、精神に異常をきたし
 ていたんだ・・・」
 裕也は初音の肩を抱き、優しくなぐさめていた。
「ヨークのエネルギーをむさぼって生き続けるより、新たな命に生まれ変わる方が良い。
 俺のようにな・・・」
 そう言うと裕也は泣き続ける初音の背中を、耕一と楓に向けて押した。
「さぁ行け、リネット。エディフェルが待っているぞ」
「あ・・・」
 何かを話そうとした初音の声を、二人の声がかき消してしまう。
「初音ちゃん!」
「初音!」
 とまどう初音に、裕也は強く命じた。
「行け!リネット!」
 裕也を見つめていた初音は、その声に弾かれるかのように二人の元へ駆け出して行った。
 初音は楓に抱かれながら、そのまま泣き崩れた。
「・・・・・・」
 耕一は初音の無事を確認した後、裕也に向き直り、楓と初音を守るように立ちはだかっ
 た。それを見た裕也も、三人に向かって一歩、歩み出る。
「さて、次郎衛門・・・決着をつける時が来たな・・・」
「・・・いや、俺は戦わない」
「何だと!」
 耕一の口から出た言葉に、裕也は目を向いて激昂した。
「何のために貴様をここに連れ出したと思っている!俺は貴様と決着をつけるために転生
 したのだぞ!」
「お前と戦ったところで何になる!俺は初音ちゃんを返してもらいに来ただけだ!」
 裕也はそれを聞くと怒りをあらわにしながら、鬼角斬剣の鞘に手をかけた。
「ふざけるな!仲間を守らねばならなかったこの俺が、その仇の貴様を目の前にしてむざ
 むざ戦わずにいろと言うのか!」
「・・・」
「俺は貴様を倒す!・・・俺は・・・貴様を倒すまでは死ねん!覚悟しろ!次郎衛門!!」
 ザリッと言う音がしたかと思うと、赤錆に包まれた日本刀が鞘の中からあらわれる。
 だが、
 赤錆は所々はげおち、その下からは透き通るような青い光が漏れていた。
「見ろ!これがエルクァルディーントだ!」
 一閃、裕也が近くの大木を斬ったとたん、鬼角斬剣はその本性をあらわした。
メリメリメリメリメリ・・・ズシーン!
 舞い散る木の葉と冴える月光の向こうで、それは激しく輝いている。
 水色の水晶で造ったかのような刀身には、乳白色の葉脈のような紋様が入り、その輝き
 はまるで生き物の息づかいのように明滅を繰り返していた。
「あ、あれは・・・」
 耕一の中の次郎衛門の記憶がよみがえる。
 鬼の力の源、そこから発する光は様々な超常の力を起こす。かつて、自分も持っていた
 もの、自分の捨てた鬼の証・・・
「鬼の・・・角か!」
 耕一の叫びに呼応して、裕也は輝く妖刀を天高く掲げた。
「そうだ!鬼のあらゆる超能力を司る超感覚器官エルクァル、肥大化したエルクァルを刀
 にしたものがこのエルクァルディーントだ!」
 裕也の気に操られ、鬼角斬剣はどんどんその輝きを増す。すさまじい気の奔流と刃に満
 ちた殺気が耕一に襲いかかり、それに反応して、耕一の体がどんどん戦闘態勢にうつり
 始めた。
「ここで戦っては、楓ちゃん達を巻き込んでしまう・・・」
 耕一の理性に体はすばやく反応した。
 耕一は鬼の跳躍力を利用して、がけの上の森に飛び込む。
「こっちだ!」
 耕一はそう言いながら、森の奥へとかけていった。
「そうだ、それでいい・・・やっとやる気になったか!次郎衛門!!」
 裕也は耕一の後を追って森の中へと飛び込んだ。最早戦う事しか頭に無い彼の耳には、
 背後に響く初音の叫びも届いていなかった。


               # # #


 夜の森は、耕一と裕也の放つ殺気につつまれ、奇妙な静寂を保っていた。
バシュッ・・・
ザザッ・・・
 そんな中で何かが駆けるような音が響き、
メリメリメリ・・・ズズーン!
 時折、大木の倒れる音も聞こえた。
 風をまき、木をなぎ倒しながら、二匹の鬼の戦いは熾烈を極めていた。
 寄れば離れ、離れれば寄る・・・そんな、疾風同士がぶつかりあうかのような戦いの中、
 裕也はじりじりと耕一を追い詰めている。
ギインッ
「くっ!」
 耕一の蹴りが、裕也の右手をしたたかに強打した。
 その機を逃さず、耕一は裕也の手から離れた青い輝きを拾い上げる。
「・・・よし!」
 耕一は裕也の取り落とした鬼角斬剣を拾い、戦況を覆そうとした・・・が、
「甘い!」
ジャッ!!
 裕也の爪が耕一の頬をかすめる。
「く・・・くそっ!」
 耕一は、絶望にも近い焦燥感にかられていた。
 なぜなら、純潔の鬼の魂を持つ裕也の戦闘能力は、鬼角斬剣のハンデを差し引いてもな
 お耕一を上回っていたからだ。
シュッ!
・・・ビュッ!
・・・シャッ!!
 裕也は、すばやい連続攻撃で耕一を翻弄し続けた。
「どうした?そんな事では俺は倒せんぞ!」
ピゥッ
 耕一の首筋を疾風が駆け抜ける。
ヴァッ
 薄皮一枚が切り裂かれ、血の筋が伸びる。
 先程から耕一の体には、細かい無数の傷が刻まれ始めていた。
「くっ・・・このままでは、やられる!」
 そう思った耕一は、裕也に一旦背を向けて飛びのいたかと思うと、
しゅっ・・・すたっ
 地上に降り立ってゆっくりと刃を構えた。一撃のカウンターに勝負を賭けるつもりらし
 い。
 もしかしたら、耕一の中に眠る次郎衛門の魂がそうさせたのかもしれない・・・そう思え
 るほど、耕一は構えは堂に入っていた。
 不意に、
 裕也の思考が耕一の中に流れ込んでくる。
「・・・覚悟しろ、次郎衛門。」
 裕也の声が耕一の頭の中に響く。
 そのぞっとするほど冷たい思念に気おされそうになった耕一は、その恐怖に打ち勝つた
 め、そして裕也の気配を感じるために心を研ぎ澄ました。
 一匹の鬼の駆ける音が、耕一の周囲の森にこだまし続ける。

 一瞬とも永遠ともつかない時間が流れたその時、

 「!」
ふわっ・・・
 耕一が裕也の気配をとらえるのと、裕也が耕一の頭上におどり出たのはほぼ同時だった。
「そこかぁっ!」
「甘いな・・・死ねっ!!」
シャッ!!
バシュッ!!

 二つの軌跡が交錯した刹那、
「・・・!」
 何かが裕也の胸をよぎった。

 数瞬の後、耕一が危機を感じて閉じた目を開くと、
「・・・・・・・・・!な、何っ・・・」
「ぐっ・・・がはぁっ・・・」
 そこには、胸を鬼角斬剣に貫かれた裕也が立っていた。
 鬼角斬剣のつかを握ったまま、耕一は、一瞬の意識の混濁に戸惑う。
「・・・ゆ、裕也・・・」
 耕一は知っていた。
 裕也の振り上げられた右手は、自分の心臓を確実に叩き潰せる速度で向かってきたこと
 を、
 そして、知った。
 裕也の爪が、胸の薄皮一枚手前で止まっている事を・・・


               # # #


 月も消え、東の空に朝日の前兆が見える頃。
 薄暗い森の中で、二匹の鬼は戦いを終えていた。耕一は全裸のまま、足元に倒れている
 少年を見つめた。その胸には、青く輝く刀・・・鬼角斬剣が突き刺さっている。
「どうして・・・どうしてだ?」
 胸にあふれる憤りが、耕一の声を荒げさせる。
「何故最後になって手をゆるめた?」
「貴様が・・・強かっただけだ」
「嘘をつくな!」
 裕也は激昂する耕一に答えながら、
「・・・また、見えたんだよ。」
 あの時自分の胸によぎったものを思い出していた。
「リネットの・・・悲しむ顔がな・・・」
 ゴフッ
 口に逆流する血をあふれさせながら、裕也は言葉を続けた。
「・・・リネットは、いつも悲しんでいた・・・自分がエディフェルの裏切りをリズエル達に知
 らせてしまった事に、自分がヨークを操るのに必要な存在だからとして、生かされた事
 に・・・だから、リネットは・・・お前に一生を捧げる事を選んだのだ・・・」
「ヨーク・・・なんだ?それは」
「宇宙船さ、我々のな・・・巫女としての能力を持ったリネットは、鬼の角であるエルクァ
 ルを通じてヨークと交信する事が出来るんだ。ただ、女のエルクゥは基本的にエルクァ
 ルは持たない、だから・・・」
「他の鬼の角を道具にした物を使って・・・交信する。」
「そうだ、エルクァルディーントは、リネット専用の交信装置であり、・・・我々の高度文
 明を支える力・・・エルクゥの力を最大限に引き出す、最強の武器なのだ・・・ぐっ・・・ぶぁ
 っ!」
「裕也!」
 耕一は苦しむ裕也の胸の刀を抜いた。
 痛みを和らげようとする耕一なりの対処だったが、逆により多くの血を裕也の胸からあ
 ふれさせる結果となった。
「ちくしょう!どうすれば・・・そうだ!これは超能力を増幅させると言ったな!」
 耕一は鬼角斬剣を掲げてそう言った。が、裕也はそれを見て自嘲ぎみな笑みをもらす。
「確かにな・・・だが、男である我々は、治癒の力は持っていないのだ・・・もういい、次郎衛
 門。ヨークも無くなった今、俺をエルクゥのままで生かす術も無い・・・俺は、ようやく・
 ・・安らかに、眠れる・・・」
「裕也・・・」
 耕一はその場にへたり込んで、涙を流し続けた。
「どうしてだよ・・・どうして、こんな事に・・・」
 その疑問の答えを、耕一は知っていた。裕也はあやつられ、苦しんでいた事を。
  数百年前の忌まわしい記憶に操られ、翻弄されて・・・まるで自分の運命に悩まされ、
 死を選んだ、耕一の父の様に。
 そんな運命の不条理さと哀しさに、耕一はやはり問わずにはいられなかった。
「どうしてだよ!こんなのって・・・あんまりじゃないか・・・」
 ・・・今、耕一の中には、裕也に対する怒りは無くなっていた。あるのは「鬼」と言う過
 酷な運命への、深い、深い悲しみだけだった。
「・・・裕也、お前・・・」
 耕一の中で様々な思いが交錯したその時、
 何かが耕一の脳裏に蘇る。
 炎、
 喧騒、
 怒号、
 血しぶき、
 ・・・そして、炎の中に立つ影・・・
「!」
 その時、耕一には分かった。
 この男が誰なのか、
 何故、この男は、闘わずにはいられなかったのかを。
「リネットが・・・お前の元に行ったのは、ただの責任感だけではない・・・一人で戦おうとす
 るお前の、その鮮やかな命の炎に、心・・・魅かれたのだ・・・」
 裕也の目にかすかに涙が浮かぶ。
「こんな俺の婚約者なんかでいるよりも・・・自分の想い人の近くにいる方が・・・幸せなのだ
 ろう・・・」
 耕一は首を左右に振りつつ、目に浮かんだ影を彼に重ねた。
「そんな事は無いぜ・・・」
「?何故・・・だ・・・」
「リネットは、ずっとお前の事を気にしていたよ。悪い事をしたってな・・・だから・・・安心
 しろ、ダリエリ。」
 裕也は、告げていないはずのもう一つの自分の名を呼ばれ、狼狽した。
「!次郎衛門、おまえ、記憶が・・・」
「ああ・・・ようやく、な・・・」
 裕也は耕一を注視しつつ、満足げに微笑んだ。その表情に、迷いや険は一切無くなって
 いる。
「ふっ、やはり・・・お前は・・・最高の戦士だ・・・力も、その気高き魂も・・・今となっては・・・
 お前に敗れた事も、誇りにすら思える・・・」
 裕也の視界はかすみ、目の前の耕一の顔すら見えなくなっていた。
「・・・さらばだ・・・次郎衛門・・・リズエル達を・・・リネットを・・・よろしくな・・・」
「ダリエリ・・・」

「・・・エリ、ダリエリ!ダリエリ!!」

 最期の瞬間、ダリエリはリネットの呼ぶ声を聞いた。
 胸に広がる暖かい感覚と共に安らかな眠りが近づいている事を感じた彼は、強く願いを
 こめ、生まれて始めて祈った。
「・・・もし、もう一度生まれる事ができたら・・・」
 そして、眠りが訪れた。


               # # #


第五章「裕也」

 俺がそこにいた。もう一人の俺・・・いつもの「奴」だ。でも、いつも饒舌ぎみな奴が、
 今日に限っておとなしい。
「何だ・・・お前、どうしたんだ?」
「・・・俺の名はダリエリ、エルクゥの長となるべき者だ。」
「なんだよ、今さら」
「俺は、次郎衛門に我々の一族を滅ぼされたその時、自分の守るべきものを無くしてしま
 った。」
「ど、どうしたんだよ。」
「だが、俺は・・・そうなる事を予測しつつも・・・次郎衛門のもとへ行くリネットを止められ
 なかった・・・」
「・・・」
「ヨークの元を離れ、転生を繰り返し・・・もう一度次郎衛門と戦った今、はっきりと分か
 った。俺は一族の恨みや自らの使命より、リネットの幸福を願っている事を・・・」
「リネットの、幸福・・・」
「・・・必死で自分の心を押え込んでしまい、リネットにこの想いを伝えられなかった。そ
 れがこの俺、ダリエリの最後の無念だったんだ・・・」
「ダリエリ、お前・・・」
「・・・お前、ではないぞ裕也。」
「?」
「俺は、俺だろ」
「そうか・・・お前は俺で」
「そう、お前も俺だ。」
「そうだな」
「そうだよ」
「これからどうする?」
「戻ろう」
「戻れるのか?」
「もちろんだ。」
「そうか・・・戻れるのか・・・」
 俺の頬に雫が落ちた。俺の目にたまっていた涙が・・・
 いや、違う、
 俺の涙じゃない。
 これは、まるで・・・そう、眠りについたあの時に感じた、暖かさのような、愛おしさの
 ような・・・俺の心を満たしてくれる、優しい涙の一滴・・・


               # # #


 俺が目を覚ますと、一人の少女が俺の顔を覗き込みながら、そのこぼれおちそうな大き
 な瞳に涙をためていた。
 朝のさわやかな空気と陽光が少女を美しく彩る。
「よかった、目を覚ましたんだね」
「リネット・・・リネット!」
「きゃっ!」
 俺は目の前の少女を抱きしめた。
 遂げられなかった想いが俺の体を突き動かす。
「ダ・・・ダリエリ、く、苦しいよ。」
「あっす、すまない!」
 俺はリネットを慌てて放した。
 涙目になりながらせき込む彼女は、制服ではなく白に水色の横縞が入ったシャツと、真
 っ赤なミニスカートを着ている。
「もう・・・相変わらずなんだから・・・気を付けてね、先輩。」
「ああ、ごめん・・・って・・・え?」
 私服の初音ちゃんに見とれていた俺は、彼女の言葉の意味を理解するのに数秒を要して
 しまった。
 一瞬、頭が混乱する。
「あれ、初音ちゃん・・・どうして、ここに?」
 俺の狼狽しきった様子を見て、初音ちゃんは涙をふきつつ、にっこりと微笑んだ。
「俺・・・助かったのか?」
「大変だったんだよ・・・楓お姉ちゃんが先輩を見つけた時には、先輩死にそうになってた
 んだもん・・・」
 せっかくふいた涙がまたにじみ出てきたらしく、初音ちゃんはしきりに涙をぬぐってい
 る。
「・・・楓お姉ちゃんが教えてくれたの。あの刀を使って裕也先輩を助けられるのは、わた
 しだけだって・・・巫女の治癒力を持つ、わたしなら先輩の傷をふさぐ事ができるんだっ
 て。」
「傷?」
 慌てて俺はTシャツの胸元を広げてみる。
 はたして胸の真ん中には、赤黒く、縦に20センチはあろうかという大きな傷痕があっ
 た。
「あれから二日も眠り続けてたから、どうなるかと思ったけど・・・よかった、本当によか
 った・・・」
「・・・初音ちゃん。」
 ぼろぼろと涙をこぼし始めた初音ちゃんを、俺はさっきと違って優しく、ゆっくりと抱
 きしめた。初音ちゃんの香りがふわっ・・・と俺の鼻をかすめる。
 優しくて、
 懐かしくて、
 切ない想いが俺のひびだらけの心を潤す。
 そして俺は、この腕の中の少女に再び巡り合えた事に、言いようの無い喜びを感じてい
 た。
「・・・わたし、夢の中で前の自分の事、思い出したの・・・楓お姉ちゃんの事、耕一お兄ちゃ
 んの事、そして、裕也先輩の事・・・」
「みんな、思い出したのかい?」
「うん」
 こくりとうなづいて、初音ちゃんは俺の顔を見つめた。
「先輩・・・わたし、前にもこんな事があったんです。耕一お兄ちゃんが次郎衛門の時の夢
 を見て、わたしに抱きついてきて、わんわん泣いて・・・」
「・・・そうか・・・」
「・・・あの時はすごく切なくて、すごく悲しい気持ちになったけど、今は・・・違う。」
 初音ちゃんが俺の胸元に頬をよせ、静かに目を閉じる。まるで、俺の心臓の音に耳をす
 ましているかのように。
「こうしていると、先輩の想いが伝わってくる・・・ずっと、わたしを想ってくれたんだね。
 わたしが次郎衛門の所に行った、あの時も・・・」
「ああ・・・あの時のリネットの心を救えるのは、俺じゃなかった。次郎衛門に仕え、捧げ
 る事が唯一リネットの心を慰める事だって知ってた・・・でも、」
グイッ
「きゃっ」
 小さく声を上げた初音ちゃんを抱え込み、俺は彼女を乱れた布団に寝かせた。
「もう、あいつにお前を渡したりはしない。もう、俺は自分を偽ったりしない。全てが終
 わった今だから・・・」
「・・・」
「今だから言える・・・昔の俺の心を、今の俺の命を救ってくれた、大事な君に・・・愛してい
 る。」
「・・・先輩。」
 俺と初音ちゃんは唇を重ね、互いの想いを心ゆくまで通じ合わせた。今度のキスはダリ
 エリとリネットではない、楠木裕也と柏木初音としてのキスだ。
 ゆっくりと唇を離した俺は、ふと思った疑問を初音ちゃんに聞いた。
「初音ちゃん、学校はどうしたんだ?それに、他のみんなは・・・」
「えっ?」
 予想しなかった問いにうろたえつつも、初音ちゃんは身を起こしながら答える。
「今日は第二土曜日で学校は休み、千鶴お姉ちゃんは仕事で、梓お姉ちゃんは学校の部活。
 お兄ちゃんと楓お姉ちゃんは買い物だって、」
 純真な初音ちゃんには、俺の邪悪な意図は分からなかったらしい。
 ・・・実は、先ほどから、俺の男としての衝動が激しく『ある事』を命じているのだ。
「へぇ・・・そうか、じゃあ」
 俺はずい、と初音ちゃんに近づき、そのきゃしゃな肩を抱いた。
「じゃあ、今、この家にいるのは俺達二人だけなんだ・・・」
「え・・・えぇっ!」
 ぼんっ!と初音ちゃんの顔が真っ赤になる。まるで瞬間湯沸かし器だ。
「そ・・・そそそそそそそうですけど・・・」
 言語機能に破綻が生じた初音ちゃんを俺は抱き寄せて、三回目のキスをしながらそのつ
 つましやかな胸に手を伸ばした。
 ノーブラだったらしく、かすかに彼女の先端が硬くなっているのが分かる。
「うっ・・・ふぅ、んっ・・・」
 ふさがれた唇からもれた吐息は、彼女の動揺を表していた。硬直し始めた初音ちゃんに、
 俺は優しく囁きかける。
「大丈夫だ、俺を・・・信じてろ」
「え・・・は、はい・・・」
 俺の首筋にしがみついてくる初音ちゃんを抱きしめながら、俺はこの幸せな時間をかみ
 しめていた。
 俺の腕の中で次第に無防備な姿になっていく初音ちゃんは、誰よりも美しく、そしてい
 とおしかった。
「・・・好きだよ、初音・・・」
「裕也・・・さん・・・」
 俺はもう放さない。
 この愛しい人と、そしてこの想いを。
 そんな強い想いが『初音が欲しい』と言う衝動となって俺を急がせる。
 さっきまで俺の寝ていた布団の上に倒れ込み、俺は左手で初音の肩を抱くような格好で
 彼女に愛撫をし始めた。
 俺は初音のシャツを脱がせ、俺自身もTシャツとトランクスのみになる。
「・・・裕也さん・・・や、止めて・・・」
「ん・・・どうしてだい?」
「だって・・・楓お姉ちゃんたちが、帰ってきちゃったら・・・」
「いいじゃん、別に」
 あらわになった初音の胸元にキスしながら、俺はミニスカートの脇から手を入れてその
 細い太ももを刺激し始める。
「あっ、そ、そんな・・・」
「あの二人だって、いろいろとしてるんだろうし・・・それとも、」
 太ももから手をはなし、初音の頬にその手をそえて優しくこっちを向かせる。
 涙をたたえた瞳がたまらなく可愛い。
「いやかい?こういう事・・・」
「えっ・・・」
 真面目な顔をしてそう問いかける。
 ・・・我ながら意地悪な質問だ。
 ゆっくりと伏せた顔を左右に振って、初音は消え入りそうな声でそれを否定してくれた。
「裕也さんなら・・・・・・いや、じゃ・・・ない・・・です・・・」
 くうぅ〜〜〜ーーーっ可愛いっ!
 なんてかわいいんっだ!!
 感動にうちふるえる俺を上目遣いに様子をうかがう様なんて、凶悪ですらあるぜぇっ!
「ありがとう、・・・するよ」
 俺は血気にはやる男の本能を必死で抑えながら、彼女の胸のピンクとも紅色ともつかな
 い小さな突起に軽く舌をはわせた。
「あっ・・・ひゃぁっ」
 初めての感覚に震える彼女のスカートに手をかけて、ジッパーを下ろす。
 スカートを脱がせる時に初音は腰を浮かせてくれたが、あいている俺の左手が背中から
 まわって乳首をつまんだ時、
「あぁっ・・・やだっ!」
 全身の力が抜けたらしく、スカートがお尻を越えないうちにすとん、と腰をおろしてし
 まった。
「・・・裕也さんの、いじわる・・・」
「あっ、ごめん・・・でも・・・」
「でも?」
 初音が涙目をこっちに向ける。
「すっげー可愛い・・・初音」
「!ば、ばかぁ・・・」
 消え入るような抗議の声も聞かずに、俺は半ば強引にスカートを脱がせて、彼女のひざ
 の下に右ひざを入れ、右足を浮かせた。
 同時に、俺の手が最後に残った下着の上から初音の敏感な所をリズミカルに刺激する。
「っは・・・いゃ、だぁ・・・ああっ!」
 圧力をかけるごとに乱れる彼女の吐息と声がだんだん激しさを増し、それにつれて下着
 の中央に湿った感触が広がり始めた。
 持ち上げた足をゆっくりと右に寄せ、徐々に足を開かせる。
「!は・・・やあぁっ!!」
 自分の格好を認識した初音は、両腕で顔を隠してしまった。だが、耳まではみだした紅
 は初音の羞恥をあらわしてあまりある。
「はずかしぃ、よぉ・・・」
 細い腕の間から覗く固くつぶった目から、一筋涙がこぼれる。
 そうか・・・初めてなんだもんな・・・
 俺は、彼女の耳元に顔をちかづけてささやく。
「初音、不安だったら・・・」
 包み込むように、しかし強く彼女の肩を抱いて
「俺の顔を見てろ、いいな・・・」
 と言いながら、彼女の顔を覗き込む。初音もそれに応えてまぶたを開き、ついで腕を下
 げ始めた。自分を抱くように初音は腕を交わらせ、かすかに震えている。
「・・・はい、」
 けなげにそう言う初音に俺は口づけをした。強引に舌を滑り込ませ、初音がそれに応え
 て舌をからませ始めた時、
ドクン・・・ドクン・・・ドクン・・・
 心臓の激しい脈動と共に、互いの想いが通じ合った。どうやらエルクゥの特殊な力は、
 愛し合うもの同士の間で最も強まるらしい。
「・・・・・・ふぅ、」
「・・・はぁぁ・・・」
 互いにため息をつきあって目を開き、俺と初音はどちらからともなく微笑みあった。俺
 の中ではさっきまでのあせる気持ちは消え失せ、初音の不安も、その微笑みの中に消え
 ていった。
「・・・」
 服を脱ぎきった俺の首元に無言で抱きつく初音を抱き返しながら、俺の右手は初音の下
 着をそっと下ろして、その幼くも敏感な谷間に指の腹をはしらせた。
「・・・!ああっ・・・あああぁ」
 こつん、と指にあたる感触は、初音の陰核が包皮の中で大きくなっている事を示してい
 る。
「・・・っひっ」
 そこにあたった瞬間、初音は息をのむような声を上げた。
「初音、ここ・・・いいのかい?」
 もう一度そこを指の根元で撫で回し、圧迫する。
「あっだめっ!あぁ、いやぁっ!」
ぴちゅっ・・・
 何かが滴るような音が聞こえ、さっきとは比べ物にならない程の量の透明な液が、俺の
 手を濡らしはじめた。
「そこ・・・だめ・・・すごく、変になっちゃうもの・・・」
 だいぶ意識がもうろうとしてきたらしく、初音は焦点の合わない視線を俺に向けてそう
 言った。
 俺の頬に当たる息が甘く、熱い。
「何言ってんだよ・・・もっと変になって、いいんだぜ・・・」
 俺は初音の下着を一気に脱がし、そして右手の指をフルに使って初音の敏感な部分を刺
 激し続けた。
 人差し指と薬指を使って熱くほてった肉の唇を広げ、中指の腹を膣口の周辺に滑らせる。
「・・・そ、そんな・・・とこ・・・」
 中指の根元で包皮の奥のものを圧迫しながら、少しだけ中への侵入を試みる。
 つぷっ
「はあぁっ!・・・くう、ふぅん・・・」
 鼻にかかった息を吐きながら初音は、俺の指を少しづつ飲み込み始めた。
 準備はOKってところだ。
 実のところ、刺激的な初音の姿と声、そして汗と息と愛液の混じった甘酸っぱい香りを
 かがされた俺はもはや我慢の限界に達していた。
 初音の腕を静かにはずしながら、静かにたずねる。
「初音、お前の初めて・・・もらうぞ。」
「・・・うん、いいよ・・・」
 初音の脇に手を入れ、背中ごしに彼女の肩をつかむ。俺は自分の陰茎の先端を、初音の
 中心にあてがった。
 ちゅぷ・・・
「ふぅ・・・ん・・・」
 目を閉じて、不安と快感がないまぜになったため息をもらす初音を見たとたん、俺は自
 分の衝動に耐え切れなくなり、次第に腰に力をいれ始めた。
「ああああっ!ぐうっ・・・はあぁっ!!」
 破瓜の痛みに苦しむ初音の固くつぶった目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ始める。
 ぴりぴりぴりと何かを押しのけるかのような感触が俺の陰茎に伝わり、その刺激に俺の
 快感も急速に上がっていった。
「ああっ・・・はぐっ・・・く、苦しいよぉ・・・おなかが・・・くるしい・・・」
「だ、大丈夫か、初音?」
 大丈夫なわけはない。
 ただでさえ激しい痛みに襲われていると言うのに、そのうえこんな小さな体に初めて異
 物を入れられたのだ。
 根元まで入った陰茎は、脈打ちながら主人の意図とは関係無く初音の幼い性器をせめた
 てている。
「はあ・・・はぁ・・・はぁ」
 荒い息を吐く初音を見ながら、俺はしばらく動かず、初音の痛みが少しおさまるまで待
 とうと思った
 ・・・が、意外にも動き始めたのは初音からだった。
 ほんの少しの前後運動が次第に激しくなり、ぴちっ・・・ぷちゃっ・・・と水っぽい音が俺と
 初音の間からもれはじめる。
「お、おい・・・うっ・・・いいのか?初音・・・」
 ずりゅ・・・
「はあっ・・・はあっ、痛いの・・・痛い・・・けど・・・」
 ずぷっ・・・ぴちゃっ・・・
「なんだか・・・熱くて・・・むずむずして・・・あっくぅっ」
 じゅぷ・・・ぴちゃっ・・・じゅっ・・・
「と、止まらない、の・・・」
 自分の中の快感に怯え、涙を流しながら初音は俺の下で体をゆすり続けている。
 入れる前の愛撫で達しかかっていたせいか、それとも俺の快感が俺の心と共に伝わって
 いるのか・・・ともあれ、そんな激しい動きとけなげな言葉を聞かされては、俺の快感も
 ますます激しくなってきてしまう。
「初音・・・」
 初音を抱きしめ、いったんその動きを止めさせてから体を起こす。
「あっ・・・」
 ちょうど初音は俺に馬乗りになっている状態だ。俺と初音の結合部分に彼女の体重がか
 かり、凶器と化した俺の陰茎はよりいっそう初音の奥へ進んでゆく。
「くっ、ふぅ・・・な、何?」
「初音、自分の気持ち良いように動いてごらん。」
「え・・・」
 この体勢なら初音も自由に動けるだろう。自分にちょうど良いように調整が出来るはず
 だ。
 それに・・・ 
「かわいい初音を、もっと見ていたい・・・」
「えっ!」
 やべえっ!思わず本音が口をついてでちまった!
・・・かーっ
 ただでさえ火照っている初音の頬が見る間に真っ赤になっていく。
 だが、
 今の初音は羞恥心よりもその身に迫る快感の波を感じる事を選んだらしい。両手を俺の
 胸について、顔を伏せながらつぶやく。
「う、うん・・・じゃあ・・・動く、よ・・・」
 俺が問い返す暇も無く、初音の腰が浮き始める。
 ずるっ・・・
「あっ・・・」
 いやらしい音を立てて俺のものが抜け始める。
 抜ける寸前になって初音の腰は一旦止まり、その身をよじらせながらもう一度俺を深く
 へ導く。
「ふぁっ・・・んあぁ・・・」
 完全にその身を現したものはなかなか素直には入らず、初音の膣内を突っかかりながら
 進んでいった。
 俺の先端が過重を感じるたびに、初音の身は震え、息が乱れる。前後運動の摩擦より、
 膣壁に刺激を与える方が彼女には良いらしい。
 俺は右手を初音の頬にあて、半開きの唇に親指を押し込んだ。
 ちゅる・・・ぺちゃっ・・・じゅっ・・・
「ふう・・・ん・・・裕也・・・さん・・・」
 初音は俺の指を音を立てて吸い始める。まるで生まれたての赤ん坊のようだ。
「初音・・・」
 指をそっと引き抜くと、唾液が名残惜しそうにつうっと糸を引く。そのままその手を初
 音の胸に持っていき、くりっと先端を撫で回しながら、彼女の体を押し上げる。
「ひゃんっ!」
 びくんっ!
 跳ね上った体と俺との結合部分に右手を下ろし、初音の最も敏感な所に手をやった。盛
 り上がった部分を親指でぐいっと押してやる。
「ひぁあっ!だ、だめぇっ!」
 大きくなった陰核は恥ずかしげに包皮から顔を出し、薄紅色の先っちょを見せていた。
 そこに初音の唾液で濡れそぼった親指を持っていき、つん、と触ってみる。
「っあぁっ!・・・び、びりびりする・・・」
 初音の腰から力が抜け、重力に任せてお尻が下がっていく。
 ずぷぷぷぷ
「ひっ・・・くっ・・・はぁっ!」
 初音の吐息に合わせてあそこが俺をぎゅっと締め付ける。
「くうっ、きつい・・・」
 だいぶ限界が近づいている。俺はともかくとして、初音だけはなんとかイかせてあげた
 い・・・と思い、俺は腰を左右に動かしながら、ゆっくり前後運動を始めた。
「あっ・・・何だか・・・いい・・・」
 俺の上で体をゆする初音は、リズミカルな吐息をつき始めた。
「くっ・・・ふっ・・・くっ・・・ふうっ・・・んっ・・・はぁっ」
「激しく、するよ・・・」
「えっ?」
 腰の律動に酔い始めた初音を、少し乱暴にずんっ、と突き上げる。
「・・・ひっ」
 息をのみながら声にならない声が聞こえる。
 過激に動き始めた侵入者に戸惑い、初めて味わう快感に怯える初音の敏感な陰核を、親
 指の腹で素早く撫でる。
・・・しゅっ
「ああっああぁぁっ!」
 身を震わせながら快感に痺れる初音は、俺の目から見ても絶頂が間近だった。
・・・しゅっ・・・・・・しゅっ・・・・・・しゅっ
ずぷっ・・・ぐっ・・・ぐっ・・・ずるっ・・・ずぷっ・・・
「はっ、あっ、だめ、だめ、こんな、こんなの、だめ、だめえっ!」
 一定の間隔をおいて繰り返される陰核への刺激と膣壁への圧迫が、初音を確実に快感の
 波にいざなっている。
 初音だけではない。
 自分自身の頂点も近づいている事に急に気付いた俺は、初音を後ろに倒して、彼女に覆
 い被さるように体勢を変えた。それでも俺は初音への愛撫と挿入を止めない。
ぐいっぐいっぐいっ
 完全に包皮から顔を出した薄紅色の真珠を乱暴にこする。
「ひっ、あっ、や、やぁっ、」
ずっぷっずっぷっずっぷっ
 腰の律動は速さを増し、初音もそれに応えるかのように体をよじらせる。
「あっ、はっ、だめ、も、もう、だめ、だめ、だよ、わたし、もう!」
「いって、いいぞ、初音・・・お、俺も・・・くっ!」
 急いで抜き出した俺のモノを、初音の陰核に強引にこすり付ける。
 それが、二人の快感の引き金となった。
「んっくっ・・・ああ、あ、ああああああああぁぁーーーーーーーっ!!」
「はぁっ・・・ぐうっ!!」
びゅくんっ!
 俺の陰茎から出た白濁液は、腹部を越え、胸にかかり、初音の頬に音を立てて飛び散っ
 た。所々に混じっている赤い物は、彼女の純潔の証だった。
「・・・はぁ、はぁ、はぁ、ふぅ・・・」
 目をつぶったままぐったりとした初音は、激しい快感の余韻を味わいながら、時折身を
 震わせていた。
 このまま放っておいたら眠ってしまいそうなほど、満ち足りた表情だ。そのかわいいピ
 ンクの唇にそっと口づけをして、横に寄り添う。

 いつまでも、一緒にいたいな・・・

 そんな、がらにも無く感傷的な思いを抱いていた俺は、ある無粋な気配を廊下に感じた。
「・・・そこのお二人さん!」
 おもむろに俺が障子の向こうにそう言うと、
ギシッ
 廊下の床板が、まるでそこにいる人物らの動揺を示すかのように鳴った。
「・・・見物料替わりに、ティッシュをもらえませんかねぇ!」
「!は、はい・・・」
 楓ちゃんのか細い声がして、ついでタパタパタパとスリッパの走る音が遠ざかる。
「い、何時気付いた?裕也。」
「・・・ついさっきだよ。」
 耕一さんの気まずそ〜うな質問に、俺はわざとドスのきいた声で答えた。
「まったく・・・確かにこんな所で始めちゃった俺も悪いけどさぁ・・・」
「いや〜ごめん!覗くつもりはなかったんだけど・・・ほら、様子を見ようって思ったんだ
 よ、そしたらもう・・・な、始まっちゃってて・・・なぁ・・・止めるのもなんだか・・・」
 言い訳がましい耕一さんの声を聞いて、自然に笑いが込み上げてくる。
「ふっ・・・別にいいよ、もう怒ってないしな。」
「そ、そうか?」
「ああ。・・・ところで、あれは?」
 俺は瞬時に真面目な調子になって、耕一さんに問いかける。
「鬼角斬剣か。寺の住職に柏木の名前を出したら、何も言わずに元の所に戻してくれたよ。
 ・・・どうやら、俺達の事は良く知っているらしいな。」
「すまない、あんたには世話になりっぱなしだしな。今も、昔も・・・」
「ダリ・・・いや、裕也・・・」
タパタパタパタパ
 そうこうしているとスリッパの音が近づき、わずかに開いた障子の隙間からティッシュ
 の箱が差し出される。
「ど、どうぞ、ごゆっくり・・・」
パタン、タパタパタパタパタパ・・・・・・
 来る時の数倍の速度で遠ざかる足音を聞きながら、俺は楓ちゃんの動揺ぶりにしばし呆
 然としていた。
「なぁ、耕一さん・・・」
「・・・何だ。」
「ここじゃ『ティッシュ下さい』って言ったら、徳用五箱セットをくれるのかい?」
 俺の目の前には色とりどりのティッシュの箱がそびえたっていた。しかもビニールの封
 も切っていない、まっさらな新品である。
「しかも、言うにことかいて『ごゆっくり』と来たもんだ。」
「まぁ・・・あの娘も恥ずかしがりやだから・・・な、」
「・・・うーん」
 腕を組み悩む俺のとなりでは、心地よい初秋の空気に包まれながら、初音ちゃんがすや
 すやと寝息を立てて眠っていた。


               # # #


第六章「永遠に」

 耕一さんが帰る日の夕方、俺は柏木家のみんなと共に駅のホームにいた。
「必ず、帰ってくる・・・だから、待っててくれ・・・楓ちゃん」
「・・・はい・・・」
 頬によせた耕一さんの手に大粒の涙をこぼしながら、楓ちゃんはこくりとうなづいた。
 その表情は寂しげながらも、何かが吹っ切れたかのようなさわやかな幸せがにじみでて
 いた・・・と言うのは、事情を知る俺の勘ぐりすぎだろうか?
つんつん
 俺の学生服のすそを誰かが引っ張る。
「?」
「ねぇ、・・・こっち」
 制服姿の初音が俺を改札口へと引っ張っていた。見ると、梓や千鶴さんはすでに改札の
 外へ出ている。
「邪魔しちゃ悪いよ。」
「・・・そうだな。」
 みんなの意図を理解した俺は、初音の後ろについてそそくさと改札を出た。
 駅の正面には黒塗りの大型セダン車が横づけされていて、柏木姉妹の帰りを静かに待っ
 ている。そんなところを見せられるたび、親元から離れた一学生の俺は萎縮してしまう
 のであった。
「さて、楓が戻ってきたら、私たちも帰りましょう。」
「あっ、姉さん、帰る前にちょっと商店街に寄ってくれない?今晩のおかず買っときたい
 からさぁ〜」
 商店街に黒塗りセダン・・・なんだか異様な雰囲気をかもし出しそうな気がするが・・・
「裕也君も、一緒に乗る?」
 千鶴さんがありがたい申し出をしてくれるが、
「すいません、俺、今日これなもんで。」
 と言って愛車のマウンテンバイクの鍵を外す。
「あら、そうだったわね」
「しっかりしてよ、千鶴姉。初音を乗っけてきたのもあいつなんだよ〜」
「う・・・ち、ちょっと間違えただけでしょ!」
 ムキになってその言葉に反応する千鶴さんと、それをからかう梓。何だか会って間も無
 いと言うのに俺はこの姉妹に、言いようの無い親近感を覚えていた。
「ねぇ、先輩。」
「?なんだ、」
 俺に寄り添っていた初音が俺の顔を覗き込む。
「今の先輩、すっごく幸せそうな顔してる。」
「あぁ、当然だよ。だって・・・」
ぎゅっ
「!・・・」
 急に肩を抱き寄せられ、初音は頬を赤らめる。
「こんな可愛い彼女が、俺の側に居るんだもんな。」
「・・・もう・・・」
「え〜オホンっ!」
 俺達の前でわざとらしい咳払いが響く。その正体は・・・梓だ。
「ちょっと楠木、あたしはあんたを認めたわけじゃ訳じゃないのよ・・・わかってる?」
「へん、わざわざ梓に認めてもらわなくったっていいよーだっ」
「なっ・・・あたしを呼び捨てにするなって言っただろ!」
「会った早々てめーのバックドロップ食らったんだ!これぐらい当然の権利だ!!」
「バックドロップじゃないっ!垂直落下式ジャーマンスープレックスだっ!!」
「同じだ同じ!」
 にこにこと満面に笑みをたたえた千鶴さんの前で、俺と梓は丁々発止の言い合いを続け
 ていた。
「・・・今日は初音に夕飯作ってもらう約束があるんだ!ここでおめーとやりあってなんか
 いらんないぜ!」
 と言って俺は愛車にまたがって、初音をひょいっと抱きかかえた。
「えっ?えっ?ええっ??」
 ハンドルを握った左手に足をかけさせ、右手で背中を支える。
「こらまて楠木!」
「じゃあな!初音はもらって行くぜっ!」
 宣言するが早いか俺はペダルを思いっきり踏み込み、一目散に梓の前から逃げ出した。
 我ながら鮮やかなウイリー走行だ。
「えっ?何?なんなの?」
 初音は相変わらず状況がつかめず、当惑気味だ。
「まって!裕也君!」
 俺の背中に千鶴さんの声がかかる。もう俺はどんな制止もふるきるつもりだった。が・・・
「初音の帰りは遅くてもいいから・・・」
「?」
「避妊はちゃんとするのよぉ〜〜〜ーーー」
ズシャッキキィィイーーーッ
「・・・あ、危うく車道に突っ込む所だった・・・」
 周囲の眼差しと、梓の大激怒にさらされている千鶴さんを尻目に、俺は家路を急いだ。
「えっえっ?何が起こってるの?」
 あいかわらずな初音を抱えながら。


               # # #


 「ねぇ、梓・・・」
「はぁ、はぁ・・・何?姉さん。」
 怒鳴りつかれた梓が顔を上げると、夕日を見つめながら微笑む千鶴が居た。
 いつもとは違う真面目な雰囲気に、思わず梓は息を呑む。
「私ね、叔父様が死んだと聞いた時・・・正直言って絶望したの。」
「・・・」
「これからどうすればいいんだろう、私だけでやって行けるのかしら・・・そんな事ばかり
 思ってた・・・」
 かき上げる髪がふわり、と風になびく。
「でも、耕一さんが楓の想いに応えてくれて、初音も本当に愛し合えるひとを見つけて
 ・・・そんな妹達をみてると、私たちの未来もそう暗くはない、って思えるようになって
 きたの。私たちのような、呪われた血の一族でもね。」
 空をあおぎながらそう言う千鶴に、梓は微笑みながら答えた。
「・・・何言ってるのさ、千鶴姉」
「?」
「千鶴姉は、背負い込みすぎだよ・・・私たちや、一族の未来まで背負い込まなくていいん
 だ。私達だって、一人一人自分の力で、幸せを見つけられる・・・」
「梓・・・」
 照れくさそうに鼻をこすり、梓は千鶴を見つめる。
「だからさ、今度は千鶴姉が幸せになる番なんだよ・・・きっとそうだっ。」
「・・・ありがとう、梓・・・」
 にじんできた涙をぬぐいながら、千鶴は今本当に幸せだった。
 叔父であり最大の理解者である賢治が死んでから、ずっと絶望しかなかった未来を、希
 望を持って見つめる事ができそうな・・・そんな幸せな気持ちが胸に満ちていた。
トゥルルルルルルルルルルルルル
 二人の耳に、列車の出発のベルがかすかに届く。
「ほら、姉さん。楓が帰ってくるよ。」
「・・・そうね、戻りましょう。」
 改札口から駆けてくる楓をおもむろに抱きしめ、とまどう楓に頬を寄せる千鶴を見なが
 ら、梓はつぶやく。
「あめでとう、楓。ちょっと、妬けるけど・・・絶対幸せになりなさいよ・・・」
 夕暮れに伸びをする梓は、千鶴が呼ぶまで朱に染まった夕暮れ空を見上げていた。
 車に向かって歩く梓の表情は、さっきの千鶴にも負けないぐらい澄んでいる。
「あたしは、弟・・・でも、それでいい・・・さて!私も幸せ、さがすかな!!」


               # # #


 俺のアパートに向かって、俺と初音は夕暮れの住宅街をつっきっていた。
 さすがにあの体勢は恥ずかしいらしく、初音は改めて俺の後に乗り直していた。
 マウンテンバイクには基本的に荷台が無いので、初音は足がかりの上に立って、俺の肩
 に手をかける格好になる。
「もう、信じられない・・・」
「誰が?」
「先輩が。」
 ずーんと落ち込む俺。
「やだ、うそうそっ・・・千鶴お姉ちゃんの事だよ。」
「ああ・・・」
 駅前の一件は、未だに突然の衝撃として俺の頭に影を落としている。
「まぁ、悪気があって言ったんじゃ無し、それに・・・」
「それに、何?」
「!・・・何でもない。」
 そう言う事も考えてない訳じゃ無いし・・・と続けそうになったのを慌ててごまかす。
「そ、それよりさぁ、今日は何作ってくれるのかな?」
「うーん・・・まず先輩の冷蔵庫の中を見てから、決めようかなって。」
 そう言われて俺は少なからず動揺した。
「お、俺、買いだめとかしないたちなんだ。・・・だから、近くのスーパーで何か買って行
 こうぜ。」
「え、そうなの・・・それでもいいかな。先輩、一緒にお買い物しようね。」
「あぁ、もちろん!」
 俺は心の中で、胸をなで下ろしていた。
『良かった・・・冷蔵庫の中は脱臭剤とバターと醤油しか無いなんて、言えねぇもんなぁ・・・』
 と思っていると、初音は俺の首元にしがみつくかのような格好になってきた。初音の甘
 い香りが俺の鼻をくすぐる。
「ねぇ・・・裕也さん」
 初音は二人っきりになった時、俺の事を名前で呼んでくれる。ちょっと大人びた声が、
 よりいっそう俺の鼓動を早めた。
 ・・・まったく、今日の俺の心臓は休まる暇が無い。
「ずっと・・・ずーっと、一緒に・・・いてくれる?」
 胸に広がる暖かい気持ちと共に浮かびあがってきた言葉を口にする。
「当たり前だ、これからは・・・」
 右肩のあたりにかかっている初音の手。俺はそれに手をかぶせ、きゅっ・・・と静かに握
 った。
「・・・ずっと一緒だ、何回生まれ変わっても・・・」
 俺の胸に残った痕(きずあと)・・・それは過去のあやまちの烙印ではない。それは、俺と
 初音を輪廻を越えて結んでくれる、かけがえの無いしるしなんだ。
 夕日の中、坂道を勢い良く下る自転車の影。その上の影は一つに寄り添って、しばし離
 れる事はなかった。まるで、これから始まる俺達の物語を暗示するかのように。
「裕也さん、」
「うん?」
「・・・大好き。」
「俺もだよ、初音。」
 初音の小さな手を握りながら、俺は、その優しい温もりに誓うようにつぶやいた。
「愛してる・・・永遠に・・・」


                      TRUE HAPPY END


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轣A近くのスーパーで何か買って行  こうぜ。」 「え、そうなの・・・それでもいいかな。先輩、一緒にお買い物しようね。」 「あぁ、もちろん!」  俺は心の中で、胸をなで下ろしていた。 『良かった・・・冷蔵庫の中は脱臭剤とバターと醤油しか無いなんて、言えねぇもんなぁ・・・』  と思っていると、初音は俺の首元にしがみつくかのような格好になってきた。初音の甘  い香りが俺の鼻をくすぐる。 「ねぇ・・・裕也さん」  初音は二人っきりになった時、俺の事を名前で呼んでくれる。ちょっと大人びた声が、  よりいっそう俺の鼓動を早めた。  ・・・まったく、今日の俺の心臓は休まる暇が無い。 「ずっと・・・ずーっと、一緒に・・・いてくれる?」  胸に広がる暖かい気持ちと共に浮かびあがってきた言葉を口にする。 「当たり前だ、これからは・・・」  右肩のあたりにかかっている初音の手。俺はそれに手をかぶせ、きゅっ・・・と静かに握  った。 「・・・ずっと一緒だ、何回生まれ変わっても・・・」  俺の胸に残った痕(きずあと)・・・それは過去のあやまちの烙印ではない。それは、俺と  初音を輪廻を越えて結んでくれる、かけがえの無いしるしなんだ。  夕日の中、坂道を勢い良く下る自転車の影。その上の影は一つに寄り添って、しばし離  れる事はなかった。まるで、これから始まる俺達の物語を暗示するかのように。 「裕也さん、」 「うん?」 「・・・大好き。」 「俺もだよ、初音。」  初音の小さな手を握りながら、俺は、その優しい温もりに誓うようにつぶやいた。 「愛してる・・・永遠に・・・」 TRUE HAPPY END
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