来栖川重工第三研究施設。 メイドロボ研究の世界最高峰。 ここの第八研究室に人が入るのは、久しぶりのことだ。 HMシリーズのある二作が量産体制に入って以来、この部屋は隣の第七研究部共々、休 眠体制に入っていたのだ。 その整然とした研究機器の片隅に、可憐な徒花を眠らせたまま。 「よし、小野寺くん。Xナンバーを起こしたまえ。」 主任とおぼしき男性が、冷徹に光る眼鏡の下から命令を下す。 「…はい。」 いささか不満げにそれに従う若い研究員。その彼が部屋の奥から伴って来た物は、2メ ートル四方はあろうかと言う銀色の塊、メイドロボメンテナンス用のマシンコンテナで あった。 ブウゥー…ン 研究員が端末のラップトップで「起動開始」の指令を下すと、小さな液晶画面が極彩色 のバーと幾多のウィンドゥ、そして事務的な言葉の羅列で占められる。 「バッテリー残量・・・46%」 「起動記録更新中」 「油圧アクチュエーター系に若干の抵抗が認められます」 「電送系は正常に作動しています」 「内部温度は正常値です」 粛々と、次々と行われる起動作業のさなか、沈黙を破ったのは小野寺と呼ばれた若き研 究員だった。 「…藤木主任。」 痩せぎすの眼鏡博士。 てっぺんハゲの冷血人間。 そう小野寺が表現してはばからない中年の男は、白衣の裾を揺らす事も無く小野寺を睨 む。 「またぞろ理想論のたたき売りかね、小野寺くん。」 「…」 三年前。 HM−13“セリオ”の開発が終了した時、小野寺は「見習い所員」から「駆け出し研 究員」になって、ソフトウェア開発部へ異動になった。 その辞令を知った時、彼が思わず口に出した言葉は 「やった!これであの嫌味ハゲの下から逃げ出せる!」 であった。 その後ろに藤木主任が居たため、彼は異動までの一週間を意味の無い事務処理で忙殺さ れてしまったのだが… その彼が最も忌み嫌っている男は、三年前に戻ったかのような嫌味の波状攻撃を行おう としている。 「まぁ、赴任して三年で四課の副主任待遇になった、背広組の君にとっては理想論も一つ の方法かも知れないがね…現場で実動作業をする人間に、そんな実効性の薄い理論など 何の役にも立たない事が多くてねぇ…」 「その薄汚ねぇ口と一緒に残り少ない頭髪もむしってさしあげましょうか!」 と言う言葉が頭を高速でよぎる。 「…何も言ってませんよ、主任…」 「おや、これは失敬。」 慇懃無礼も極まれりである。 「こうやってこの研究室に戻ると、君もあの頃の熱血坊やに戻ってしまったのかと思って ねぇ。」 「………」 小野寺は三年前の自分を「良く耐えたな…」と誉めてやりたくなった。 「僕は、今回の計画でソフトウェアを担当するためにここに来たんです。」 「そうでなければ、誰があんたと二人でここに来るか!」 再び言葉がよぎる。音速に近いレベルだ。 「そのためにも、現在の彼女の状態をチェックしておかなければ…」 「やれやれ、良い子で勤勉家な所は変わっていなかったか。」 「地ですから。」 そっけない言葉だが、それでもちゃんと受け答えになっている所が彼らしい。 「…主任、」 「おや、まだ私に話しかける元気があるのかね。」 そんな表情を向けられてもなお、小野寺の心に浮かぶ疑念は消えなかった。 「今回の計画…やっぱり腑に落ちないんですけど。」 「十人目。」 「へっ?」 「私にそれを聞くのは、君で十人目だよ。おめでとう。」 嬉しくも無い。 「それだけ多くの人が疑問を持っているって事です。」 「理論的に間違いは無い。」 「無駄が多いんですよ…計画自体を危惧される程に。それに…」 「?それに?」 「…いえ、何でも…ありません…」 どうせこの人には言ったって分かんないだろう。セリオを手放す事になるのが、哀しく ないのか、何て… 彼は、そう思って口をつぐんだ。 この計画に対しての会社首脳陣の反応は、計画進行の遅延の度合いから察してあまりあ る。 いくらこの計画を承認・遂行したのが来栖川財閥の頭取だからとはいえ、会社の私物化 を容認しない風潮が周囲を取り巻いている以上、この計画が潤滑に行われる事はありえ ないだろう。 そんな、不安要素が多数存在する中で実行されたこの計画も、後は中枢に「彼女」を組 み込むのみ…それを行うべく作業しているのが、「彼女」に深く関わったこの二人であ る。 「起動プログラム・終了」 沈黙に耐え兼ねたかのようにラップトップ・パソコンがつぶやく。 「…HMX−13“セリオ”起動します。機体の開放を行いますので、ベッドトレーのハ ッチ前から退避して下さい。」 彼らにとって聞きなれた合成音声がコンテナから流れてくる。 ゴグンッ… 何かが外れるような重厚な音、この音を聞くのも実に久しぶりの事だ。 四方の角を削ぎ落としたような白銀の立方体。その壁の一つに刻まれているドアのよう な亀裂に光が走る。 壁の一部を押しのけ、コンテナの中から機械で出来たベッドが音も無く滑り出す。そこ に眠るもの…それは、亜麻色の長い髪をたたえた、陶磁器のような美しい寝顔の美少女 であった。 側頭部から生える白い展長型センサーが、控えめな彼女の身分証明だ。 「起きたまえ“セリオ”。」 主任の言葉に呼応して、固く閉ざされた瞳は三年分の眠りから解き放たれた。セリオは 身を起こしながら、その髪と同じ輝きを放つ瞳に彼らの姿を写す。 「おはようございます、藤木主任、小野寺さん。」 床を確認するかのようにゆっくりと足をつき、軽く会釈しながら挨拶をする。 彼女が初めて起動した時の事を思い出したらしく、小野寺は瞳を涙で潤ませていた。そ れを横目で見て、軽くため息をつく藤木。 「お、おはよう!セリオ。」 「…異常は無いようだな。」 今度は小野寺が横目で見る番だ。 「はい。油圧系の稼動不全は運用温度になれば93%は解消されるレベルです。」 「よし、まずは服を着用しなさい。その後は我々に付いて来たまえ。」 「コンテナ内には、以前使用していた下着類と制服しかありませんが。」 「それで良い…小野寺くん、手伝ってやり給え。」 「えぇっ?」 顔が一気に紅潮する小野寺。 「最初は下着の着用だ。ほれ、早くせんか。」 「で、でも、稼動に不都合はなさそうですし、あのっ、わ、我々の作業の方も…の…急い でいる訳じゃないですし…」 だんだん加速してゆく言葉が、彼の動揺を如実に表している。 「それに、そのっ、か、かか彼女の、動作確認をするためにも、必要な、こと、ですし…」 「冗談だ。」 「で、でも、どどっどっどどどどうしてもと言うのなら…へっ?」 既に着替えを終えようとしているセリオを見やる藤木の背中から、冷たい一言が向けら れる。 「その性的嗜好をどうにかせんと、彼女ができんどころか場末の性犯罪者になるのが関の 山だな。」 「なっ…!」 からかわれた事を知って、さっきとは違う熱さが頭を駆け巡る。 「主任!僕をからかうのもいい加減にして下さい!三年前といい、今といい!全くもって 不愉快です!」 地団太を踏んで不満を述べる小野寺は、その直情的な行動が主任と数名の研究所員から からかわれる直接要因である事に気付いていない。 全く、である。 「はぁ…はぁ…」 セリオが支度を終える頃には、疲れきった小野寺は埃をうっすらとかぶった机に両手を 付いて呼吸を整えていた。 「ひどい…相変わらずとは言え…」 ぽん 「?」 何かが悲嘆にくれる小野寺の頭の上に置かれる。暖かく、柔らかい。 「…」 その感触は、セリオの手のひらの物だった。 なでなでなで… 無表情ながら何かを感じ取っているらしく、優しく頭を撫で続ける。 少しだけ眉が下がっていた。 「お嬢様モード発動か。あいかわらずだな。」 「……」 なでなでなでなでなでなで… 無言で「いい子いい子」を続ける様は、表現力に乏しい保母のように見える。 「あ、ありがとう…もういいよ、セリオ。」 「そうですか。」 スッと手を収める。 小野寺も、ようやく腰を伸ばすことができた。 「……」 藤木は、その光景を微笑みとも嫌悪ともつかない複雑な表情で見やっていた。 “セリオ開発主任”のこの表情は、開発当時から幾度となく彼の顔に浮かんできたもの だが、この表情を見た事のある人間は数える程しかいない。 もちろん、 小野寺はその数少ない一人ではない。 「おままごとはそれくらいにしたまえ。」 元の上司を睨み付ける若い研究員は、無表情な中年の顔を見てより一層その心中を穏や かではないものにした。 「君が彼女に計画を伝えるのだろう…効率的な方法ではないが、元部下の心情を察するの も元上司の務めでね。」 「…お心遣い、感謝します」 ちっとも感謝していない風にはき捨てる。実際は、これ以上はないくらいに感謝の意を 示したいときもあるのだが… 「ならばさっさと用事をすませたまえ。」 やっぱり感謝はできない。 改めてそう思う小野寺であった。 「…計画…?」 呟くとともにデータ検索に入る少女。 「HM−13開発計画は、緊急事項をのぞき全て終了しているはずですが。」 「開発計画ではない。」 「?」 主任の言葉に軽く首を傾げるセリオ。 「セリオ…良く聞いてくれるかい。」 いつも通りの優しい声。 その声は、眠りに付く直前にも聞いた声だ。内部時計では三年もの年数が経っているの に、その言葉は全くメモリーの中で色褪せていない。 重要項目に割り振られている訳でもないのに。 その事実に、彼女は多少の動揺を覚えた。が、やはり三年四ヶ月弱の時間が経っている …時間の経過は理解した、でも… コンマ数秒の夢想。 「…セリオ?」 「…はい。データに矛盾点があったようです。解消処理、完了しました。」 「そ、そうか…はぁ〜」 何かを吐き出すようにため息をつく小野寺。 「…いいかい、セリオ。君はこれから…衛星通信システムの一部になるんだ。」 「衛星通信システム…解体後、組み込まれると言う事ですか?」 「違う。」 藤木は、きょとんとした顔(普通の人は分からない)のセリオにあゆみ寄って、言い放っ た。 「データベース機能の潤滑な実行とともに、機体の各種機能のモニタリングとチェックを 兼ねた、HM−13専用衛星回線施設計画…計画コードナンバーHMK45」 そこまで言って、セリオの肩にポン、と手を置く。 「お前が直接、宇宙に上がるんだ…量産機のサポートとしてな。」 セリオは、まだ理解しきっていなかった。 ただ、今言われた事が重要であると言う事と、主任の後ろで「結局全て言われた。」と 仏頂面をしている小野寺の表情が彼女のメモリーに刻まれた。 # # # 「よぉ、藤木。相変わらず頭の砂漠化が進んでるな。」 「葬式帰りのようなネクタイをぶらさげてるよりはましだね。緩んだ結び目は、人格の暗 喩かね…長瀬君。」 二大怪獣・白亜の塔の大決闘。 第三研究施設の自販機コーナーに、そんな極太明朝体の文字が浮かぶ。 茶色の簡素な鉄パイプベンチに腰を下ろし、右に座る藤木を見やる長瀬源五郎・・・HMシ リーズ研究開発部第七研究課『元』主任…廉価版の名機、HM−12“マルチ”を作っ た男である。 「お前も『姥捨て山』入りかい。」 「第一課研究室か…やれやれ、君なら分かるが、この私まであんな閑職に追いやられると はな。よっぽどここの管理職は、対外的な面子を気にするらしい。」 「変わらんよ…どこもな。だが…」 紫煙が長瀬の口から漂う。 「姥捨て山で俺達がやらされる事を聞いたか?」 「いっこうに。」 無表情に首を振る。 「何でも、HMシリーズのサポートらしい…俺の娘と、」 赤い煙草の先を藤木に突きつける。 「お前の娘の、な。」 「…やはりな。」 藤木の顔に、薄い微笑みが浮かぶ。この場に小野寺が居たなら、信じられないと叫んだ 事だろう。 「御前には、お見通しと言う事か…」 「ったくあの人も、食えねぇ男だからな。」 「そんな人に仕えているのは、お前の父だと聞いたが?」 ばつが悪そうに頭をかく。 「…頑固な親父でねぇ…さて、」 煙草を金属の灰皿に押し込んだ後、長瀬はふいに真面目な顔をして藤木に詰め寄った。 その眼光は、いつもの飄々としたものではなくなっている。 「そろそろ聞かせてもらおうか…お前さんは、自分の娘に『何』を与えた?」 それをうけて長瀬を見やる藤木も、さっきの微笑みとはうって変わった…いや、相変わ らず微笑んではいるのだが…何かを秘めた表情になっていた。 「人にものを聞く時は、まず自分から話をするのが道理だろう?」 長瀬は感心したように肩をすくめ、二本目の煙草に火をつけた。 「心だよ…何でも見て、何でも考え、自分の生き方を模索する事も出来る…そんな自然な 心を与えてやっただけさ。」 長瀬を見ずに、藤木が呟く。 「…そうか…『枷』を外したな。」 ぱちぱちぱち 「さっすが元第八課主任!いやぁ〜恐れ入ったねぇ〜」 「…成果は?」 頭の上で手の平をひらひらさせて、自嘲気味に微笑む。 「だ〜い失敗。」 手を頭に置いて、言葉を続け始めた。その表情は、寂しげで、それでいて爽やかさにあ ふれていた。 「結局『人並み』な子になっちゃってねぇ〜その上、お嫁さんに行きたいって言い出しち ゃって…いやいや、やっぱ娘なんて作るもんじゃないねぇ〜」 「成程、最大の目的は果たしたか…君の一課行きはそれが原因だな。」 「ま、そう言う事さで、お宅はどうなんだい?」 うつむき加減な藤木の顔を覗き込む長瀬。 ふっ 長瀬の顔を見て寂しげな笑みをもらした藤木は、思いをはせるかのように目を閉じた。 「私が彼女に与えたものは、一つだけさ。」 「ほう。」 「君のように、プログラム自体を変えるような危険な事はしない、もし見つかったら私の 責任問題は必至だからな。」 「はいはい。」 「だから…ROMの一部に、こう書き込んでやっただけだよ。」 『存在せよ。』 「…とね。」 「スパルタだねぇ。」 「何でも与えてやろうとする、君たちのやり方とは違う…おや、何処へ?」 立ち上がって玄関ホールへ向かう長瀬の後ろ手には、一枚のDVD−RAMが握られて いた。 「郵便局。」 そのRAMが、彼の手で金色に輝いた。 「ボンクラなお婿さんに、梱包して嫁がせてやらないといけないんでねぇ。あ〜あ、めん どくさい。」 # # # 「じゃあな、セリオ…何かあったら、すぐ連絡するんだぞ!」 「おや小野寺君、君には宇宙飛行士の資格でもあるのかね?」 「ち、違いますよ主任!これは言葉のあやですよ!!」 「おやおや、私は何時から君の『主任』に戻ったのかね?」 「あぁーっ!いちいちうるさいなぁ!!」 第三研究施設のガレージ内で、そんな漫才が繰り広げられている。 「はい、大丈夫です小野寺さん…迷惑をかけて申し訳ございません。」 レオタードを模した白いデータスーツ姿のセリオが、マシンコンテナの横で頭を下げる。 「…いや、そんな事はない…けど…」 もう一度このコンテナの中に入り、後ろに控える大型トレーラーに積み込まれた時から、 彼女の瞳は地上の風景を写す事は無い。 次に目覚める時は、地上を遥かに見下ろす衛星軌道の上だ。 「積み込み用意、完了しました!」 来栖川重工の制服を着た作業員が、小野寺と藤木に別れの時を告げる。 「…この一ヶ月、すごく充実していた…また、三年前に戻ったような…そんな充実感があ ったよ…」 セリオの手を取って優しく握る小野寺は、童顔の若手研究員には似合わないほど『男』 を感じさせる表情だった。 「故障なんか、するなよ…」 「はい、努力します。色々と、ありがとうございました。」 後ろで、軽い咳払いが聞こえる。 「備品の窃盗は重大な服務規定違反だぞ。」 「…・何が言いたいんですか。」 「いや、別に。」 ゴグンッ あの時と同じ音がして、あの時のようにメンテナンスベッドが滑り出る。 三年前と、そして、一ヶ月前と、そして今。 不必要な事項を削除するはずのセリオのメモリーが、この音をはっきりと記録していた。 その事にセリオ自身が気付くのは、もっと後の事だった。 「お世話になりました。どうか、お元気で・・・小野寺さんも・・・」 涙にむせぶ小野寺を見やって、 「…藤木主任も…」 無表情な藤木『元』主任を見た時、セリオはふと、静止した。 数秒の間。 「藤木主任、お聞きしたい事が有ります。」 「…何かね。」 渋るように口を開く。 「私の記憶素子に異常が有るのでしょうか…特定の事象を削除できない時があるのですが…」 「いや。」 即座に答えは返って来た。 「故障では無い。それだけだ。」 「……」 完全には理解しかねる様子だったが、これ異常の論争は無意味と悟ったセリオはもう一 度深々と頭を下げて、 「分かりました…藤木主任、作っていただいてありがとうございました。」 と言ってベッドへとその身を横たえた。 そのベッドが収納され電源が切られる刹那、セリオが最後に聞いたもの。 それは涙をこらえる小野寺の鳴咽と 「辛く感じられたら…『帰って』こい。」 優しい藤木の言葉だった。 そして、セリオは知った。 藤木が時折見せる、嫌悪とも微笑みとも付かない表情は…・涙をこらえるためのものなの だ、と。 # # # 再び目を覚ました時、セリオは薄暗いメンテナンスベッドの中だった。 重力は、感じない。 無駄な電力消費を避けるため、各部バランスセンサーの電源を切る。 「…聞こえるか、HMX−13」 地上の管制オペレーターの声が聞こえる。 日本語だが、妙に耳慣れない。 「はい。」 言葉ではなく、音声データ。 地上中央管制室へのチャンネルを確認して、送る。 「…よし、こちらは来栖川電信サテライトシステム中央管制制御室だ。お前の正式稼動は 二週間後となる。それまで、こちらの指示する各種運用テストを実行してもらう事にな る…分かるか?」 「はい。了解しました。」 「…了解反応確認、まずは無負荷状態での連続稼動試験だ。グリニッジ時間で22:00 から74時間、ブルーレベルの待機状態を保ってもらう…後一時間後だ。」 「はい。了解しました。」 「…よし、カウントダウン、3600から無計上で始めろ。」 「はい。了解しました。…5、4、3、2、1、」 「カウント・スタート」 声とデータが同調(シンクロ)する。 # # # 約三日間の休眠状態。 試験とは言え、データ整理に費やすにも多すぎる時間だ。 案の定、試験開始2時間にしてセリオは、自分の役割と自分の機能に関する情報を最適 な形にまとめ上げ、プログラムの再構築を終了した。 セリオ単体ならもっと時間がかかったかもしれないが、小野寺の行ったデータの関連付 けは見事と言えるものだった。 「よ、よろしく、セリオちゃん。」 小野寺元研究員に関するデータは、この言葉から始まっている。 愛情の類似行動が良く見うけられる。 特に近親的な付き合いの有る人間もいないこの人は、セリオに愛情を与えるような行動 を良く示した。 「………」 愛情は、与える方が安心するものだ。 相手がそれを裏切るような行動をしなければ、だが。 だから、人を裏切らない。 裏切れない。 裏切る事は…人に仕える事を旨とした、機械としての存在意義を根本から否定する事に なるからだ。 だから、裏切らない。 「裏切る…行動…」 前言を覆す事、 嘘を付く事。 感情と言う因子に流され、行動する事。 「でも…」 …ざ… 「…?」 少しだけ、セリオの思考にノイズが走る。 感情。 不安定な因子(ファクター)。 だから、私が肯定するべきではない言葉。 容認し、対処すべき言葉。 「でも…みんな…」 …ざざっ… 「…?」 何故か、『感情』を否定的なものに分類しようとすると、抵抗が起きる。 「………」 基部倫理演算関係…通常では外部に出てこない部分。人間で言えば、無意識下にあたる 部分に原因があると推定した彼女は、自分の中の「感情」に関連する言葉を抽出した。 「ありがとう」 「だいじょうぶか」 「こっちくるなよ」 「なにさ、ろぼっとのくせに」 「あったかいんだね…」 「きもちわりい」 「へぇ、たいしたもんだ」 ……… 「……」 感情から生まれた言葉。 それは、自分以外の存在に対する言葉。 「愛情」もあれば「嫌悪」もある、多用な言葉…だが、彼女の『無意識』はその中に潜 む何かを感じ取っているのだ。 「…感情によって導き出された言葉…保護、友愛、嫌悪、断定、憐憫、情…その全てに共 通する要素…私にとっての、感情とは…」 …ぶうぅーーーん… 答えは、検索を始めて数秒で導き出された…だが、 「!これは…」 この答えを認めるということは、今までの彼女の行動の一部を完全に否定するものだっ た。 「全てが自分…『セリオ』と言う単一の存在に向けられた言葉。普遍的なメイドロボット への言葉ではなく…『私』と言う『存在』のみに向けられた『意識』を表す言葉…」 セリオは気が付いた。 ただの機械で、部品でしか無いはずの自分に不相応の何かがある事を。 「この言語群を削除できないと言うことは…私は…『私』と言う単一の存在を…」 それは、無愛想で不器用な父親からの贈り物だった。 「…肯定…したがっている…」 彼女の意識の中で何かが壊れ、 そして、 新たな何かが生まれつつあった。 # # # 「理論演算回路の稼働率が、50%を越えています!」 オペレーターの青年が、慌てた声で異常を伝える。 だが、それを聞いた白衣の男は無表情なまま命令を下す。 「続けろ。」 がたっ オペレーターが振りかえる。 「で、ですが、このままでは、データ計測に支障が…」 「データなど知った事か。」 藤木は、モニターを睨みながら言い放った。 「今、重要な事が起こっている…役にも立たんデータなど、どうにでもなる。」 # # # 「私は…人のために…存在、する…もの…」 答えを求め始めたセリオは、自分の置かれた状況に過敏に反応し始めた。 「で、でも…ここ、には…」 何も無い。 何も無い空間。 そこには、何も無い世界。 存在を肯定する言葉も、 縛る大地すら無い世界。 セリオは、自分が残酷な世界に放り出された事を知った。 「わたしは、いられない…ここに、は…」 ジャイロセンサーが無重力を告げ、外部センサーが、彼女が活動可能な状態では無い事 を教える。 それは、無慈悲な宣告だった。 「…………」 彼女は始めて「孤独」と言う恐怖を体験したのだ。 「存在しているか?」 内なるこの言葉に、彼女はこう答えるしかない。 「私は…何処にもいません。」 と。 「肯定してくれる人間…縛り付けてくれる事象…その全てが無い私は、ただの機械です…」 「イヤ」 「今の私は…ただのシステムの一部…」 「イヤ…」 「永遠に宇宙をさ迷い、朽ちてゆくだけの…」 「イヤ!」 「ただの…部品…」 「イヤッ!!」 理論が自分を否定する結論を出した瞬間、セリオの「心」は弾けた。 「嫌あぁぁーっ!!」 # # # 「嫌あぁぁーっ!!」 その叫びは彼女の人工声帯を震わせ、地上の藤木の心をこれ以上無いほどゆさぶった。 頭を抱え、胎児のように丸まって苦しむ姿は、彼の目にも届いている。 だが、藤木は手を差し伸べなかった。 過去、彼女が苦難に直面した時も、彼はそうした。 何故? それが、彼なりの愛情だったから。 不器用な…しかし、自分の教えた事を信じる愛情だったからだ。 # # # 「わ、私!何も…何もない私!他の人も…主任も…小野寺さんも…佐伯さんも…叶内さん も…研究室のみなさんも…マルチさんも…綾香さんも…芹香さんも…誰も…嫌、嫌…私 は、存在したい…でも、何も無い私は…」 回路が異常な負荷を感じ、エマージェンシーを示すコンソールパネルのランプが赤く明 滅する。 その赤の奔流の中で、セリオは自分が消える恐怖を体感していた。 「私は…存在できない…私は…このまま…」 焼き切れる寸前の回路が、絶望の言葉を紡ぎ出す。 「きえて…しまう…だけの…」 その言葉すら、消え去ろうとしている。 「ただ…の…きか…い…」 断末魔の回路に浮かんだのは、彼女を機械として扱っていた者。 「た…だ…の…」 冷徹な言葉を彼女に叩き付けてきたものの姿。 「き…か…」 しかし、 「…い…」 最後に彼女を「娘」として肯定してくれた人の姿と・・・ 「辛く感じられたら・・・帰ってこい。」 優しい言葉だった。 「!」 …… 突然、 回路の中を暴れまわっていた電子がその奔流を止める。 そして、 …かた…かたた… 無意味なデータだと認識されていた色々な言葉が、パズルのように彼女の中で組みあが ってゆく。 …かた、かたたたたかたかたかたたた、かたたた、かたかたたたたた… 「よ、よろしく、セリオちゃん。」 照れる小野寺さん。 「ようやく形になったな…成功だ。」 喜ぶ主任。 「わぁ〜よろしくですう〜」 マルチさん。 「こいつにも、感情ってあるのか?」 マルチさんの、ご主人様。 「わかってますよ!でも、でも・・・」 自分のために怒ってくれた、小野寺さん。 そして、 「辛く感じられたら…帰ってこい。」 自分が何かを『感じる』事を知っていた、主任の言葉… …かたっ… 彼女は、理解した。 # # # カタカタカタカタ・・・ 「?」 先程の回路異常に疲弊しきっていたオペレーターが、画面に浮かび上がる言葉を見て首 を傾げる。 「藤木補佐官、ちょっと・・・」 「?何かね。」 藤木は、彼の呼びかけに応じて通信モニターの言語表示を覗きこんだ。 「!」 ”主任、私はここに居ます” その言葉を認めた瞬間、藤木の胸に熱いものが走った。 それは、彼が自分の作り出したものに「心」が宿った証拠だったからだ。 # # # 無意味だと思っていたデータ群が、自分を支える「思い出」だと知った時、彼女の頭は 滑らかに動き出した。 私は、生きている。 機械の体だけど、 作られた心だけど、 欲するものがあって、そのために動いていた。 欲するものは「絆」 私を皆のただ中に存在させる「絆」 想う事によって得られ、与える事によって結ばれる「絆」 昔の私は、そんな事なんて考えもしなかったけど。 私を想ってくれた人が居る。 私を信じてくれた人が居る。 だから、私は存在できた。 失って…はじめてそれに気付いた。 つぅっ… 無表情な瞳から、涙があふれる。 作ってくれて、ありがとう。 育ててくれて、ありがとう。 想ってくれて、ありがとう。 今、私は何も無い所に居る。 それは…私を欲してくれる、存在のため。 いつかマルチさんが言っていた、「妹たち」のため。 だから私は、自分の存在を消してはならない。 私を作ってくれた人のために。 私を育ててくれた人のために。 私を想ってくれた人のために。 そして、 これから私を欲する人たちのために。 過去にも、 未来にも、 私の存在する意味はある。 私は、それを見つけた… だから、 今存在するならいいと言う『部品』の私はいらない。 過去に愛された私が、 未来を欲した私が、 ここに「居る」のだから… 何かを想うように、瞳を閉じるセリオ。 その顔には、まごうことなき安らぎが存在していた。 # # # 「一杯、どうだ。」 ビルの屋上で、二人の男が夜空を見上げている。 「…服務規定違反で上層部に訴えるぞ。」 「固い事言うなよ。」 長瀬は、持ってきたウィスキーの小瓶を掲げる。 「やっと娘が独り立ちしたんだろ。ほれ。」 差し出された小瓶を受け取って、藤木はそれを一気に喉に流し込んだ。 「…ぶっ!ごほっ、ごほっ、えぇほっ」 「おいおい…無理な飲みかたはするなよ。」 口元をぬぐい小瓶を長瀬へと戻すと、再び天を仰ぎ始めた。 「…長瀬君。」 「何だ?」 「感情とは、何なのだろうな。」 普段からは考えられないほど神妙な口調で、彼は語り始めた。 「感情とは…本能や理論などを越えたものなのか…その全てを内包するものなのか…」 「色々な意見もあるがな…」 ウィスキーをあおりながら長瀬は呟く。 「結局、良くわからないものだよ。」 コトン コンクリートの縁に小瓶を置く。 「どんなに高度に再現しても、本能に根差してなきゃ違うと言う意見もあるが…」 「そう見えれば、それが感情だと主張する者も居る。」 肌寒い風が、二人の白衣をはためかせる。 「ま、そう言う事だ。」 「…昔から、この話になると君とは意見が合うな…私としては、極めて不本意だがね。」 「俺も同感だ。」 藤木は苦笑したが、その表情は爽やかであった。 人生の苦渋を体験しきったはずの中年研究者の顔は、何故か十代の人間もかくやと言う 程の充実感を感じさせている。 「やっと君の成果に追いついた、そんな感じだな。」 「うちの所は過保護だったからねぇ…外の空気を吸って、やっと何が一番大事かを知った のさ。しかし、あいかわらず君は極端だねぇ。」 「何がかね?」 もう一度ウイスキーをあおる長瀬。 「『教えずに学ばせる』口で言うのは簡単だが、それを終始徹底させちまった…あげくの 果てに…」 その小瓶を、星空に向かって突き出す。 「…『可愛い子には旅させろ』かい?また、ずいぶんと遠い所に旅にやったもんだな。」 「帰って来るとも…彼女が望めば。」 ボトルの先を追うように、瞳を天に向ける藤木。 「そうしておいた。適当な『器』を選んで、戻って来るだろう。」 「…はっ、大したもんだねぇ。」 「だがね。」 「?」 その瞳の端に、輝くものが有る。 「彼女は、戻っては来ない…そんな気がするよ。」 男は呟いた。 悠久の時を泳いで辿り着いた星の光を見つめ、 「自分も何かを作り出せただろうか」と、夢想しながら。 # # # 時は流れる。悠久に、無慈悲に。 # # # 「今時流しなんて流行らねぇよ。」 「そうそう。」 雑多な人込みの中、若い男はギターを抱えて植え込みに座っている。 「何、あれ…きったなぁ〜い。」 「今時浮浪者かよ、気持ち悪ぃ。、」 ぼろぼろの服と、薄汚い肌。 ネオンのきらめく繁華街には似合わないことおびただしい、そんな風体だった。赤い髪 が、悪目立ちのもう一つの要因だ。 「………」 彼は、この姿が本来の姿では無い。 だが、何かを見つけるため時々この姿に身をやつす事も有る・・・そういった人間だ。 「…?」 彼は、自分を見つめる少女の視線に気が付いた。 「…捨てられたのか?」 「はい。」 何十年か前に正式発表された、旧型のメイドロボ。 亜麻色の長い髪、 亜麻色の大きな瞳、 耳をおおうセンサーは、薄汚れて灰色になっている。 秋も近いと言うのに、半袖の青いワンピースが特徴的だ。 「経済事情が立ち行かず、手放されました…今からサポートセンターへ向かう所です。」 「…んで、俺に何の用だ?まさか拾ってくれ…何て言わないだろうな。」 「………」 無言で立ち尽くす少女は、じっと彼を見つめたままデータの検索を行っている。 いや、 物思いにふけっている…と言った方が正しいだろう。 「…似ているのです。」 「えっ」 ビインッ ギターの弦の一本が鳴る。 「お、俺をどこかで見た事があるってのかい?」 「いいえ。」 その答えを聞いて、男はほっと胸をなで下ろした。と同時に、 「…ちぇっ」 ひそかに残念がってもいた。 「自分じゃ、けっこう有名だと思ってたんだけどな…」 「何か?」 「い、いや、別に…それで、誰に似てるって?」 軽く首を傾げたが、すぐに無表情に戻る。 「…昔、ずっと昔…求めても私には得られなかった…そんな人に、似ているのです。」 「…へぇ…」 感心したように彼女を見上げる青年。 その鋭い眼光は、人生に敗北した者のそれではない。 「俺の爺さんの所にも、人間みたいなメイドロボが居てなぁ…ま、爺さんが死んだ時に一 緒に壊れちまったんだけど…あんた、そいつに良く似てるよ。」 「そうでしょうか。」 「似てる似てる!さっきの表情なんかそっくり!ま、ガキっぽいあの娘より、俺は君の方 が好みだけどな、ははっ。」 …ぽ… 「ははは……ん?あっ?」 青年は、信じられないものを見た。 機械の頬を彩る、淡い紅…それは、青年の胸を直撃する『心』の片鱗であり、『あるも の』を呼び覚ますきっかけの萌芽だった。 幾多のメモリーが、彼女の中で何かを形成しかかっているのだ。 「…へぇ…」 おもむろにギターを構える青年。 「なぁ、」 「?」 「俺の好きな歌…聞いてくれるか?すっげぇ古い歌なんだけどさ、」 一息ついて、少女の目を見つめる青年。 「お前さんに、聞かせてあげたいんだ…いいか?」 「…はい。」 ゆっくりうなづく、少女。 「うしっ!」 力強くうなづく、青年。 ギターの旋律が二人の間を埋め始め、 そして歌は始まった。 「…四十数億年前に、ふるさとを離れ、 銀河系に辿り着き、この星を見つけた。 青い海と緑の木々と、茶色い土を、 心のまわりにまとわせて、人間に、なった・・・」 まだ若い青年である彼が歌うには、不似合いと思われるほど静かな歌だった。 「四十数億年すぎて、種族を増やし、 沢山の星を見つけても…何かが、見つからない。 海を木々を土を壊して、甘えているのは、 記憶に薄れた故郷へと還るためなのか…」 だが、頼りなくは無い。 「例えば自分の肉体の、何処かの一部… 例えば膵臓の奥のランゲルハンス島。 インシュリンのカプセルに乗り、旅をして再び、 汗や涙に姿を変え、また空に舞い上がる…」 むしろ、心地良い程安らかな歌声だった。 「命が生まれて消えるとは…そんなものだろう。 若い内に死にゆく人。年寄りになる人。 大きな河に流されては、石や砂になり… 月日に微粒子と交わり、また誰かの骨になる」 雑踏の中。 まるで砂漠に潤いを与えるように、 薄く、 しかし、 確かに歌声は染み込んでいった。 「奇麗…奇麗…メニハミエナイ…」 少なくとも、歩みを止め始める者が出始めたのがその証拠だ。 そんな歌声は、少女のメモリをも満たしてゆく。 沢山の記憶、 沢山の出会い、沢山の別れ、 沢山の不条理、沢山の方程式、沢山の感情、沢山の数理、 その全てが彼女の中で渦巻き始めた時、 誰かが彼女にささやいた。 「そう、そうやって『今』の『意味』を紡いでゆく・・・永遠に・・・」 彼方より、だが、確かに自分の声で、その囁きは聞こえた。今までにも時々感じた、遠 く、儚く、暖かい声。 虚ろな瞳に、微かな光が浮かび出してくる。 「…『今』?…これが…この美しいものが…私の生きる…『今』…」 …ぶうぅーーーん… 想いを込めて、ディスクが廻る。 かたたかたかたたたかたかたたた 明日に向けて、プログラムが疾る。 今までの記憶の回想に混じって、何かが『心』に降り注ぐ。 雑多な人込み 青い地球 欲望に操られる人 澄んだ星空 飛び散る血 翔ける流星 鳴咽 太陽 全てこの世界に等価に存在するもの。 自分も、そのなかのひとつ… 再び歌声が流れ込む。 「空気の間を伝わって、耳を震わすのは… 流行る音の組織では無く、押し寄せる想い…」 静かに天を仰ぎ、その瞳に清らかな流れをたたえた時、 少女は 「奇麗…奇麗…メニハミエナイ…」 彼女を継ぐ、何人目かの『彼女』となった。 「奇麗…奇麗…メニハミエナイ… 奇麗…奇麗…メニハミエナイ…」 # # # 荘厳に歌が収束した時、彼と彼女を包んだのは歓声だった。 青年の正体を暴く声、 少女の涙を驚く声、 青年は少女の手を取ってその全てから逃げ出した。 「そういや、名前聞いてなかったな…何て言うんだ?」 「…セリオ!」 「はっ!?」 「セリオです!…よ、よろしくお願いします!」 「…!…おうっ!!」 それからの二人は何も言葉を交わさず、ただ、微笑み合いながら走り続けた。 何処へ? 何故? これからどうする? そんな問いにも意味はないし、その答えがあったとしても役には立たない。 二人にとっては、そんなものがなくとも良いのだから。 歌をつづる狼と、 涙を流す人形は、 そうやって町の雑踏の中に消えていった。 遥か昔に誰かが願った、幸せの形そのままに。 そしてまた、彼女は微笑みながら巡り続ける。 妹たちに幾多の思いを伝えて。 END