平盛○○年11月24日(金)午後10時53分・天気・・・晴れ
前兆はあった。
妙に黙りこくる事が多くなり、
充分な充電時間を与えているにもかかわらず、時々電源が切れたように動かなくなった
りする。
そんな異常がつもりつもったのか、おとつい映像認識機能に異常が出たとかで、一時的
に目が見えなくなったらしい。
いつもの調子で
「大丈夫です!」
と言われるだけ不安になって来る。
「稼動して四年か・・・念のためだ、いっぺん検査してもらってこい。」
昨日、そう言ってリュースを送り出したのだが、今日のこの時間に至るまであいつから
の連絡が全く無い。
「………」
時計は夜の11時を指そうとしている。
大学から帰ってから1時間弱。卒論にも手をつけず、部屋の中でボーッとしている図は
はっきり言って見られたもんじゃない。
そんな事は分かっている。
分かってるんだ。
だけど…
「メカ耳少女の居る風景『メカ耳少女の居ない風景』」
平盛○○年11月23日(土)午前9時・勤労感謝の日・天気…雨のち晴れ
「ただいま帰りましたぁ!」
「…リュース。」
たぱたぱたぱ…と傘についた水滴を振り落としているリュースに、ゆっくりと歩み寄る。
「すみません、連絡もしないで。ちょっと検査に時間がかかって…あっ!」
ぎゅっ
…ぱたっ
抱き締めたはずみに、傘が俺とリュースの間に倒れる。
「え?え、え?」
「リュース…」
我ながら情けない…けど、俺の目には涙がにじんでいる。
「よかった…お前が、戻ってきてくれて…」
「…ご、ご主人…さま…」
「壊れたりなんか…すんなよ…頼むから、な…」
「…はい…」
俺の腕に手をやりながら、ゆっくりとうなずくリュース。
その頬には、俺と同じように水滴がある。
雨。
いや、違う。
「心配かけて…すみません…」
「お前が悪い訳じゃない。分かってるはずなのに…俺は…」
「ありがとうございます…本当に…」
「礼なんか…言うなよ…」
「…はい。」
ぐいっ
どさくさ紛れに俺は涙を拭って、リュースの顔を覗き込んだ。
涙に潤んだ瞳は、俺の心を捉えて放さない。
「せっかくの祝いの日、お前と一緒に過ごせないのは寂しすぎるからな!」
「き、勤労感謝の日…でしたっけ?」
「ちっちっちっ」
二本指をかざして左右に振る。
「日本じゃ二番目の日ですか?」
「どう言う日だそれは。」
「早川さんの親友の、飛鳥さんが殺された日を記念して制定された日では…」
記念するなそんなもん。
「違う!!」
「えぇ〜?じ、じゃあ何の日なんですかぁ?」
本当に覚えとらんのか、こいつ…
「…心配かけたバツだ!自分で考えろ!」
「ふえぇ、そんなぁ…」
ずかずかずか
大股で部屋の奥へと引っ込む。
「俺は寝る!昼過ぎには起こせ!それまでにメシ作れ!食ったら出かけるぞ!以上、はい
復唱!!」
「は、はい!!えーと、ご主人さまは今からお出かけして昼過ぎまで起こす、わ、私は寝な
がらご飯を作る…でしたっけ?」
「………」
ずるずるずる
寝不足と疲労で、突っ込む事も出来ないまま布団に崩れ落ちた俺は、
「…出先でメシは食う、昼過ぎに起こせ。以上…だ…」
と言うのが精いっぱいだった。
故に、
机の上に置いてあった「簡単な電子機器補修」とか「メイドロボSOS集」とかいった
類の本を仕舞う気力など無かったのである。
「本当に、心配かけてすみません…ご主人さま…」
机の上を片づけながら謝るリュースの言葉が、俺の心を安らかにする。
「こんなに心配してもらって…私、私…」
「…当たり前だろ…」
「…?」
「お前は、俺の…恋人なんだからな…」
「!」
ばさっ
がたっ
「は、はわわっ!」
本を落として、机につまづいたな…動揺の分かりやすい奴だ。
「!そ、そんな、私、ろ、ロボットですよ?」
「んーな事、百も承知だよ…」
「…あ、ありがとう、ございますぅ…」
すっ
俺の頬に、温かく、柔らかなものが押し当てらる。
その可愛らしい唇の感触を感じながら、心労に疲れはてた俺は安らかな眠りの中へと落
ちて行った。
「恋人関係も、今日で終わりだ…」
心の中で、そうつぶやきながら。
# # #
昼下がりの池袋は、祝日と言う事もあって人波で満たされている。
そんな騒がしい喧騒からちょっと外れた通りにある、とあるファーストフード店で俺達
は休んでいた。
二階の客席には俺達以外の客もなく、ちょっとした貸し切り状態だった。
「人通りが多かったですねぇ…」
「…つ、疲れた…」
池袋をノンストップでうろつきまわった挙げ句、リュースは電力低下、俺は体力の限界
に負けてこの店に飛び込んだって訳だ。
まだ20代なのに…俺、ひょっとして、体力無くなってきてるのか?
「…年はとりたくないな…」
「私もです…最近、とみに電力の低下が激しくって…」
二人して情けない状態だ。
「そう言えばリュース、検査の結果どうだったんだ?」
「あ、はい。」
がさがさがさ
ポケットから、何やら折りたたまれた紙を出す。
「管制プログラムの進化的複雑化による、分子CPUの処理速度の問題…えっとですね、
要するに、自己進化したプログラムに、機械の方がついて行って無いそうです。」
「なるほど。」
さすが自己進化型って感じだな。
「じゃあ、中央のCPUをとっかえなきゃダメって事か?」
「はい、そうみたいです…あ、でも、主任さんが言ってました。」
「?」
「前回みたいに、実験中のCPUを一つまわしてやるって…」
「そ、そうか…」
その言葉を聞いて、俺はほっと胸をなで下ろした。
アルバイトで生計を立てている苦学生の俺にとって、メイドロボのCPUを乗せ換える
金なんて、どこをひっくり返しても出てこないからだ。
確か、一つで数十万したよな、あれって…
「じゃあ、近いうちに乗せ換えてもらえるんだな?」
「はい、一週間後に、もう一度研究施設へ来なさいって言われました…本当なら、その事
を言わなきゃいけなかったんですが…」
…ぐいっ
ミルクティーを喉に流し込む。渇いた喉に、それは柔らかく染み込んでゆく。
その余韻を味わった後、俺はゆっくりとリュースに話し掛けた。
「…気にするな、お前の忘れんぼうなぞ今に始まったこっちゃない。」
「ふえぇ。」
「それに…お前が無事で居てくれるなら、何回でも通わせてやるさ…」
「は、はい…」
ふっと顔を上げて、柔らかく微笑むリュース。
「ありがとうございます…」
一緒に生活し始めて四年になるが、未だにこいつの笑顔は見飽きない。
それどころか、年を重ねるたびに愛着が湧いて来るような…
「あの、それで…ご主人さま、一つだけ聞いていいですか?」
俺は心の中で
「来たな」
と思った。
「…何だ?」
分かって居ながらこんな態度を取る俺も俺だが、
「今日は一体…何の祝日なんですか?」
バカ正直に聞いて来るこいつもこいつだ。
「『勤労感謝の日』だけでは無い事は聞きましたが…それ以上は聞いてませんので…」
「う〜ん」
ただ教えるのもシャクだし…それに、こんな所でそれを話したく無かったが…
ま、いい。
これも運だ。
「…第一問!」
「は、はいっ!」
ちゃらんっ!
どこかで効果音が鳴った。
「今日は何処に寄って買い物をしたか、順番通りに全て答えよ!」
「はいっ!」
両のこめかみにそれぞれ人差し指をあてて、検索活動に入るリュース。
「…えーと、デパートで服と蛍光燈と野菜を買って、本屋に寄った後は電気屋を覗いた…
と、いったところでしょうか。」
昔から比べると、検索スピードは格段に上昇したようだ。だが…
「一件抜けてる。」
「え、は、はい…あ、」
こんな所は、昔から変わっていない。
「デパートから出た後、貴金属店に寄りましたね。」
「そうだ。実はな、そこで…こいつを買ったんだよ。」
紫のビロードに包まれた小箱を、白いテーブルの上に出す。
ぱくんっ
それを開けると、銀色に輝く簡素な指輪があった。しかも、大きいのと小さいのが一つ
ずつ。
「わぁ、可愛いですねぇ。これって、どなたにあげるんですか?」
「あのなぁ…」
わざと言っとんのか、こいつ…
「…リュース、手ぇ出せ。」
「?はい。」
「そっちじゃない、左手だ。」
「は、はい。」
無言で小さい指輪を拾い上げて、
すっ
「えぇっ?」
細い薬指にはめてやる。
「これって…わ、わわ、私にですかぁ!?そんな…こ、困りますぅ…」
「はめててくれないと、俺が困るんだよ…だって、」
恥ずかしがるリュースを尻目に、もう一つの大き目の指輪を自分の左手にはめる。
もちろん薬指だ。
「ここにはめる指輪は、一人ではめるものじゃないからな。」
銀の指輪は、俺とリュースの互いの手で輝きあっていた。
「ご主人さま、こ、これって…」
喜んでいいか困っていいのか分からないような表情をするリュース。
その複雑な表情とは裏腹に、白く細い指はその銀の輝きを味わうかのように、いつまで
も指輪を撫で続けている。
「この前のバイト代で、やっと目標額に届いたんだ。…すぐにでも渡せば良かったのかも
しれないけど…できれば、今日、渡したいと思ってな。今日は…」
一瞬、
初めて会った時のリュースの顔が浮かぶ。
「四年前、お前と初めて会った日だから…な。」
「…あっ…」
祝日の意味をようやく理解したリュースは、目を丸くして俺を見つめている。
「四年間、ありがとうリュース…これからは、メイドロボとしてじゃなく、恋人としてじ
ゃなく…俺の…お、俺の…」
雰囲気なんて無い。
場所だってただのファーストフード店だ。
けど、
口元に両手をやって驚いているリュースの、俺を慕う健気な想いに応えるために…俺は
…勇気を出す!
「俺のお嫁さんとして…ずっと一緒に居て欲しい!」
「ご、ご主人さまぁ…」
じわっ
涙目になるリュースの言葉をおし止めて、溢れる想いが俺の口を支配する。
「お前がロボットだって事も分かってるし…お前にとって、俺がオーナーでしかない事も
分かってる!…ご主人さまとしてでもいい、俺が必要だと言ってくれ!俺だけが必要だ
と言ってくれ!!俺にとって必要なのは…四年間、ずっと俺を支えてくれた…」
か細い指に左手を伸ばし、それを優しく握る。
「お前だけ、なんだから…」
俺達の指輪が触れ合い、
こつん、
と小さな音を立てる。
「…ご主人さま…」
「ん…」
ぱたたっ
白いテーブルの上に、涙が落ちる。
「私、私…何て言ったらいいのか…解らなくって…」
涙にあふれる微笑みで、リュースは俺を見つめている。
「何て言ったら解らないなら、言葉は要らない…分かるだろう?リュース…」
「………はい………う…うぅ…」
静かに俺の左手を握り続け、顔を伏せるリュース。
その手の上に、俺は右手を重ねる。
そのまま、しばらく時間が流れる。
色々な事があった。
元帥の結婚、そして急な転勤。それに伴って、メイドロボ軍団の大量移動。
兄貴も転勤して、セレブを転勤先に連れていったらしい。
結局ゼリオとやらのオーナーは判らなかったけど…きっと何処かで、幸せに暮らしてい
るのだろう。
東京での生活が確立し、
友達も増えて、
大学もバイトも順調だ。
その全ての出来事に、こいつの姿がある。
こいつが居ない情景なんて、俺は考えられない。
考えたく無い。
こいつが居ない時は…俺の時間は、止まったままだった。
だから、
もう離さない。
片時も一緒に居たい。
例え離れている時があっても…せめて、心の中では繋がったままでいたい。
びくっ
「リュース…?」
リュースの手が、何かにおびえるように引っ込む。
「………でも…ご、ご主人さま、私…」
「…?」
「私…だ、だめです…だめなんです!」
「!」
その拒絶の言葉に、俺は言いようの無い衝撃を受けた。
がたたっ!
ぽろぽろと涙を流しながらリュースは立ち上がり、駆け出そうとした。
行くとこなんて無いはずなのに、
結局俺の家に戻ってくるはずなのに、
「ま、待ってくれ!」
がしっ
俺は立ち上がって、リュースの左腕をしっかりと掴んでいた。
「ここで行かせたら、リュースは戻って来ない。」
そんな不吉な確信をもって、俺はリュースを引き止めた。
リュースの腕をつかんだ右手に、力がこもる。
「………」
「な、なんでだよ、リュース…」
「ご主人さま…私はご主人さまも知っての通り、ロボットなんです…」
「そ、そんな事、わかって…」
「年だって取らないし…周りからは変な目で見られるし…それに、それに…」
「………」
涙を流して顔を上げるリュースは、哀しみを満面に称えた表情をして叫んだ。
「子供だって…子供だって、絶対に生めないんですよ!」
「!」
悲痛な叫び。
俺はその時初めて、俺以上にリュース自身が「ロボットである事」に悩んでいる事を知
った。
「リュー…ス…」
「私は欲しいです、ご主人さまとの子供が!一緒に子供を育てて、一緒に年を取って、一
緒に…一緒に…いっしょ…に…」
「………」
「ずっと…一緒に…」
がたっ
「…?」
椅子の鳴る音に顔を上げたリュースを、俺はしっかりと抱きしめた。
壊れそうな心と一緒に。
「お前がロボットだってんなら…命令する。『俺と共に、生きろ。』」
「!」
リュースの体が驚きに震える。
「お前が年を取らない事も、子供を産め無い事も…俺は受け入れた。とっくの昔にな…で
も、お前がそれを辛いと思うんなら…ロボットに徹してしまっていい…」
「…ご主人さま…」
「だが…俺にとってお前はお前だ。ロボットでも人間でも関係無い、交換のきかない『リ
ュース』ただ一人だ…」
「………」
「…頼む、リュース…お願いだ。何処にも行かないでくれ…」
「ご…しゅじ…ん…さま…でも、でも、私…」
「…無い物ねだりは、いいっこなしだ。俺だってリュースとの子供は欲しいさ…でも、そ
れより大事な事があるって、俺は気付いたんだ。」
「…?」
「一緒に居たいって…愛してるって気持ちさ。こればっかりは、絶対に譲れ無い。」
「ご主人さま…」
俺の本当の気持ちが、リュースを抱きしめる。
傲慢だと解っていても、
ただの愛着だとしても、
もう俺の気持ちは変わらない。
それは昨日の晩、リュースの居ない風景を眺めて…俺が辿り着いた結論だ。
「俺、お前を哀しみから守るためなら…何だってするよ。頑張るからさ…」
俺の体を弱弱しく抱き返し、リュースは顔を上げた。
「そんな…そんな…私には、そんな資格…」
「………だから、お願いだ、リュース…約束してくれ。一緒に居るって…一人にならない
って…もしも、俺と一緒に居てくれるなら…」
リュースはうつむいて、しばらく自分の左手の薬指の指輪を見つめていた。
「私だって…ご主人さまと、一緒に居たいです…だから…」
そして、おもむろに顔を上げ、
「約束します、ご主人さま…私は、ご主人さまと、ずっと一緒です…」
と言って優しく微笑むリュース。
「私も、ご主人さまのこと…愛してますから…」
その微笑みは、今まで見たどんなものより美しかった。
この世界で、俺だけが知ることの出来る美しさ。
それがこの笑顔なんだ。
「…ありがとう、リュース…」
「その代わり、ご主人さま…私からも、お願いがあります。」
「ん?」
「………キスして、くれますか?」
頬を染めて告げられる、可愛い交換条件。
「…勿論。俺の可愛いお嫁さんに頼まれたら…」
「あ…」
リュースの頭に手をやり、その涙をたたえた瞳を覗きこむ。
「何を頼まれたって、断われないさ…」
「………」
静かに目を閉じて、背伸びをするリュース。
窓から差しこむ午後の陽光の中、
愛しい人を抱きしめながら、俺は想いを込めてその人と唇を重ねた。
そして、
この日この瞬間から、俺は永遠にリュースの居ない風景を見なくなった。
いつでも傍に。
会えない時は心の中に。
あいつの微笑む姿があるのだから。
「…ご主人さま♪」
HAPPY END