平盛○○年6月13日(火)夜・天気…晴れ 大学正門前
ざわざわざわざわざわ
ガーーーーーー………ガシャン!
後から聞こえる喧騒と、鉄の門が閉ざされる音を聞いて、俺は引き返せない場所に立っ
ている事を実感した。
左の腰の黒い模造刀と、自学独習のシロウト拳法…これが俺の全武装だ。
「雨野様。」
「………?」
特殊部隊の一人が、事態を把握できずに呆けている俺にDVDディスクを差し出す。そ
の黒い軍服の胸には「KSS」と縫い取られていた。
KSS…来栖川セキュリティサービス、だっけ。
「これが、お嬢様からの依頼で作成された特殊ディスクです。今回のような事態ですので、
お役に立つと思われます。」
「はぁ…分かりました。じゃあすいませんけど、ここに入れてもらえますか?」
「はい。」
リュース用のラップトップパソコンを入れたディバッグに、DVDを入れてもらう。
「…ご武運を。」
「………」
帰りたい衝動が思いっきり頭をもたげて来る。
だがそれをぐっとこらえて…
「…はい…じゃあ、行ってきます。」
そう言って、旧一号館に向かって足を踏み出した。
リュースと先輩を助け出すために。
この大学は、四つの校舎で構成されている。
主にサークルに使用されている、旧一号館。
通常の講義が開かれている、新一号館。
研究室がひしめく高層ビルの、新二号館。
事務室や会議室が多数を占め、二号館と隣接している新三号館。
本来なら正門から新一号館までは直通の通路があるのだが、坂道である通路に粘液質の
物体が溢れているのだ。
そんな状態で襲わて、敵に対応できる自信は無いし…第一けっこう急勾配なので、コン
トよろしくずり落ちて来る可能性もある。
なんでも、かなりの数の幽霊がうろつきまわってからこうなったらしい。
「エクトプラズムってやつか…?に、してもなぁ…」
ずどーん、とそびえる旧一号館。
歴史のある建物だけに、中途半端に電気がついている状態は「不気味」以外のなにもの
でもない。
所々電気が明滅している部屋があるのが、いっそう不気味さをそそる。
しかし、
ここの3階から新一号館と新二号館の間にある広場に出るしか、リュース達の待つ新二
号館に行くてだてはないのだ。
…ごきゅり
自分の唾を飲む音さえ、心臓を跳ねあがらせる。
「………」
ぱぁんっ!
両手で頬を叩いて目を開けた時、俺の鼓動は不安に怯える律動から、闘いに心を躍らせ
る闘士の旋律に変わった。
「畜生!行ってやるぜえええぇぇぇっ!」
ヤケクソな叫びと共に、俺は旧一号館の中へと踏み出して行った。
# # #
すったすったすったすった
俺の足音。
がっちゃがっちゃがっちゃ
俺の刀の鳴る音。
「しいぃーれっつっ、げえぇーきれぇっつっ、もぉーーーれぇっつぅビッグ・バーーーン
!♪」
そして一階に響く、俺の歌声。
「たんっじょおっ!しっんせぇーいー、えーいーえーんーのーしーんーわ♪」
やけくそついでに始めたが、結構勇気が湧いてくる。第一、こんな機会でも無ければア
ニソンを大声でがなれない。
「僕らの勇者王ーーー!がっがっがっが…」
歌いつつ進む廊下の終焉、鉄で出来た階段の前におぼろげな姿が見える。
「………?」
模造刀を抜いて、構える。
…すらり
それに気付いてか、白い人影のようなモノは静かに俺の方を向いた。
「………」
目が無く、かわりに落ち窪んだ黒い穴が俺を見つめる。
「…うえぇ、不気味ぃ…だ、だがしかし…」
意を決して、足早に幽霊に近付く。
すると、白い影は俺の方に以外に素早いスピードで近付いてきた。
「!」
「………あああ…」
微かに声を上げて、オレに抱きついてこようとする幽霊。
「う…う、うわあああぁぁぁっ!」
ぷんっ!
一閃、
右手に握られた模造刀を横薙ぎに振るうと、幽霊は忽然と姿を消していた。
「…あ、あれ…?」
その展開に、しばし戸惑う。
「…よ…ぃ良しっ!第1関門クリア!」
カラ元気を込めつつに叫んで、そのまま階段へと踏み出す。
かんかんかんかん
階段を上がっていると、不意に。
ぱしぃっ!
と言う木を裂くような音や、
がろんっ!
と言う鉄製の何かが転げ落ちるような音がした。
「!………」
そのたびに足が止まってしまうが、俺はわざと聞こえなかったフリをしつつ進んで行っ
た。模造刀を握ったままの右手は、さっきからかたかたと震えている。
『…怖い、のか…?』
怖い。
確かにそうだ。
なのに、俺の足はどんどん前に進もうとする。
そんな自分の行動を不思議がっているうちに、電気の消えた2階に差し掛かった。
廊下の向こうに、四つんばいで這いずる女が視界の端に見える。
「………」
ゆっくりと俺に視線を向ける女。その睨み殺さんばかりの目を見つめたまま、俺は右足
を少しだけ持ち上げた。
「………えいやあっ!」
がだあぁんっ!
大きく叫び、踊り場を思いっきり踏み鳴らしただけでそいつは姿を消した。
「………ふ、ふん…」
震える腕を抑えつけて、少しだけ余裕を気取って俺は歩き出した。
かんかんかんかん
3階に出て、短い廊下を抜ける。
すると、
…ふわっ…
視界が広がると共に、風が月光に浮かびあがる巨大な校舎の間を流れてきた。
左にあるのは慣れ親しんだ新一号館。
右にあるのが、目的地である新二号館。新三号館は、二号館の影で見えない。
そして正面に見えるのは、三つの校舎を結ぶ広場…
ぐるるるるるる…
だけでは、なかった。
「………」
額に浮かぶ冷や汗をぬぐう事も忘れて、俺は刀を構えた。
二つの高層ビルのちょうど中間に浮かぶ、赤い月。その月光を背にして、肩までの高さ
だけで2メートルはあろうかと言う、巨大な黒犬が唸っていたのだ。
真紅に燃える二つの瞳が、俺を捕らえている。
「…あ、あれに襲われたら…洒落にならん…」
言いつつ俺は「やつ」の右側で口を開けている新二号館入口に、どうやって入ろうかと
思案していた。
ぐるる、ぐるるる…
剥き出しの牙からよだれをたらし、獰猛な唸りがその牙の隙間から漏れ出す。
「ち、ちょっと待てよ…さ、流石に…これって…」
後ずさろうとした時、俺は気付いた。さっき俺の足を前へと進めた理由に。
「…リュース…」
あいつが、待ってる。
この先で、待ってる。
「………」
もう理由なんて、いらなかった。
息を吸って、腹に力を入れる。
そして闘う覚悟を決め、刀を構えた…その瞬間、ふいに俺の耳に届く声があった。
「……?」
!ぐるるるるるる…
微かに風に乗って聞こえる声は黒犬獣の耳にも届いたらしく、ヤツは中空を見つめたま
ま唸っていた。
『この声は、歌…いや…これは、呪文!』
ぐるるるるるる…があっ!
黒犬獣が何かに向かって吼えると、その呪文は少しだけ声量を増した。
「………アル…レベク………バカリアス………!」
ずごおおおぉぉぉっ!
空から降ってきた赤い閃光と、轟音が周囲を満たす。
ごがあぁっ!
炎に包まれた黒犬獣の吼え声が轟く。
「!よし!」
ぐろあああぁぁぁっ!
目の前でのたうつ炎の塊を見つめ、身を沈めつつ刀を構える。
があああぁぁぁっ!
こちらを睨んで、焼けただれた体を起こす黒犬獣。
…ばっ!
襲いかかってくるヤツを、俺は迷いの無い瞳で見据えた。
「…消えろ…」
大丈夫、勝てる!
その確信が、剣閃となって夜闇を裂く。
「邪魔、するなあああぁぁぁっ!」
ばしゅうんっ!………
一瞬、時が止まった。
すうううぅぅぅ………
俺に牙をむく巨大な獣は、中空に浮かんだままその姿を霞みのように消して行く。
「……ふぅ…」
完全にその姿が消えた時、俺は今までぬぐうのを忘れていた汗をぬぐった。
「助かった…ありがとう、」
空を見上げると、
「………」
「あうぅ、高いですぅ…」
黒い三角帽子とマントを身につけ、怯えるリュースを腰にしがみつかせてほうきに乗る
女性の姿があった。
月を背に中に浮かぶその姿は、とても幻想的だ。
「来栖川、芹香せんぱい…だよな?」
こくん
流れるような黒髪を揺らして、先輩は小さく頷いた。
つづく